JUGEMテーマ:日記・一般

 

今年は小学校入学から高校卒業までをゆとり教育で過ごした最初で最後の世代が大学新卒で入社する年なのだそうな。
ここで1995年という時代について個人的にも世の中的にもエポックメイキングな年だったので振り返ってみる。


そもそも切りのいい数字で戦後50年。
これだけでもうなんか時代として語れてしまう出来事なのに

1月17日に阪神淡路大震災が起こり
3月20日には地下鉄サリン事件が起こり
オウム真理教の一連の事件や逮捕があり
11月23日にはwindows95日本語版が発売された。

 

世界の出来事では
元旦にはWTO(世界貿易機関)が発足し
8月にはボスニアヘルツェゴビナ紛争に絡んだNATOの大規模空爆から
10月には停戦協定が結ばれ、4年に渡った紛争が終結
という時代。

 

国内で世界にもニュースになるようなものすごい事が次々起き、どうやっても忘れられない強烈な年となった。

 

そんな世相の中、音楽といえば私の中ではこの2曲。
4月に発売されたスピッツ「ロビンソン」
8月に発売されたMr.Children「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜」
(世の中的にも上記のようなバンド<そのほかB'z、ドリカムetc)小室サウンド、マイラバなどの小林武史といったプロデューサー時代の到来)

当時私はミスチルを聴きに行くためにファンクラブに入り
スピッツも高校生の頃からのファンでこの曲がロングヒットして秋から年末にかけてイヤというほどラジオからテレビからカラオケから聴いたのである。

人数が多いわりに時代の存在感が微妙といわれる団塊ジュニア世代だけど
この近辺のCDのバカ売れ&カラオケブーム、ドラマ高視聴率は、その後のCD売上やらドラマ視聴率やらといった指標が死につつある今から俯瞰して眺めるとテレビや音楽CDが若者文化として時代を引っ張った最後の時代だったんだなーと感慨深い。
1997年にはフジロックが始まり、フェスであらゆる音楽が聴ける素地がもうあったころだと思う。

ドラマでいえば、この年は「愛しているといってくれ」。
(翌年だとロングバケーションとこのころは北川悦吏子の時代だった。)

映画ではパトリス・ルコントやアッバス・キアロスタミがもてはやされたミニシアター系の興隆があって以前のように同じ日本映画をみんながみる時代は終わりを告げ国内の映画は斜陽産業と言われながらも世界中の映画が見られるようになったのはこのころだったと思う。
Love Letter 、打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 、東京兄妹、水の中の八月、GONIN 、幻の光、渚のシンドバッド、BeRLiN といった日本映画が公開された年であり
アジア映画ブームを引っ張った恋する惑星が話題になったのもこの年。
エドワード・ヤンの恋愛時代や君さえいれば/金枝玉葉も公開された。
フォレストガンプやショーシャンクの空にというハリウッド大作のヒットとともに
恵比須ガーデンシネマで公開されたスモークがロングランになった。恋人たちの距離が公開されたのもこの年。
オーストラリア映画のプリシラがヒット。
旧ソ連映画の動くな、死ね、甦れ!も公開。
この時は今のように年間1000本なんていう公開量ではないのと学生で時間があったのでとにかく話題になったものは全部観ましたとも!
映画好きな若者はいまと比率は同じかもしれないが、いかんせん母数が倍近いですからね・・・
バブル後とはいえ、今よりも文化に企業や世間はお金を出したし、映画や本や音楽や演劇や漫画の知識が幅広く深い人ってスゴいみたいな価値観があった。(たぶん)

スマホどころか携帯ぼちぼち持ち始めましょうかという時代。PHSだった時。
ドコモのiモード(1999年)も写メールもサービスとしては生まれていなかった分の時間を若者の何割かはこれらに使ってた筈。

将来のために目標をもって勉強するとか、目的意識をもって社会について考えるとか全然関係ないところで生きていたので
いまの若者にエラソーに何も言えない。
無目的に好きなものを見聞して生きているといくら売り手市場の今でも大変だよくらいしか言えることはない。
が、じゃあそれらが無駄でもっと有意義に過ごすべきだったかと問われると
私はあの無駄な時代は私にとっては無駄ではなく必要なものだったとしか言いようがない。
自分自身がゆとり世代を何一つ非難できないほど好きなものに逃避していた甘ちゃんでした。
後年、その当時の私をつぶさに知る小学生からの幼馴染には
あの当時の私ははた目にちょっとヤバかったといわれ、その危うさが消えて良かったと真顔で言われたときにはこちらがびっくりした。当人にはそこまで精神的に追い詰められていた自覚がなかったりするんですよね。

 

あの時聴いた曲は今も私を励まし
あの時に観た舞台を時に思い出し
あの時に観た映画が今も心を揺さぶり
あの時に読んだ本から助けれることもある。
それらのよくわからない記憶や知識が学んだことと一緒に混然一体となって
私の仕事を助けてくれる時もあれば
子供と楽しむことでまた違った側面が見えてくることもある。


私の中からあふれ出てくる記憶をガーっと鈴太郎に伝えようとアウトプットすることもあれば
その時に子供と一緒に経験することが新たな私のインプットにもなる。
子どもがダラダラゴロゴロしてイラっとしたときも、そういえば自分もこういう時に無意識にいろんなものを整理してバランスをとっていたじゃないかと思いだしたりもする。

だから人生に無駄なことは何一つないのだ。
1995年という年は私にその人生訓を与え、時に思い出させてくれる年でもある。


 

JUGEMテーマ:読書

 

 

私には音楽的素養はない。
子どものころ一年間だけ祖母の強い希望でピアノを習った。
その練習のためにどこからか中古の(なぜか)オルガンも用意されていた。
けれども、私はピアノの練習をとにかく嫌がった。
一人で部屋の入口に背を向けて音を奏でることが異様に怖かった。
誰かに見られているような気がして練習するどころではない。
そういうと、サボりたいがためにまたよくわからないことを言って・・・と怒られるのだが
私はとにかく部屋でオルガンを弾くことを拒否した。
練習しないのだから全く上達しない。上達しないままレッスンに行っても先生も困る。
そうして、私は1年でピアノ教室をやめてしまった。

今回の本は、読んでいる間中ずっとウッドベースのように、メトロノームのようにピアノを続けられなかった自分が横たわっていた。
主人公の外村は山奥で育ち、ピアノの素養がない。
調律師の板鳥に出会い、調律師を目指していく過程で常にそのことが本人に引っ掛かっている場面がでてくる。
才能や音楽的素養や音感といったものに恵まれていない自分がこの仕事を続けていくことができるのだろうか?と迷い立ち止まり自問している姿が自分自身とすっと重なるような気持ちだった。


しかし、外村は森の音を聞いて育っている。
彼の周囲ではそれは特別なことではないから、彼自身もその感覚を特別なものだと思っていない。

ものを知らない分、謙虚でこつこつと努力をする。
この森を知っている感覚と真摯に取り組み続ける外山の姿が
ゆっくりじわじわと調律師としての彼をかたどっていくさまを読者としてかいまみる

 

10年やれば、天職。

取り組み続け、常にまだまだと思いながら努力を続けられること自体が才能なのだとこの小説は静かに囁いて励ましてくれる。

向いていないかもしれない、この道は違うのかもしれないと思いながら不安になりながら

働いたり、打ち込んだりすることはそれ自体が才能の一つなんだなと改めて思う。

 

そう、才能がない場合はそもそも続けられないのだ。

文字が音に聞こえ、清々しい気持ちになって読了できる、必読の書。

映画化も6月公開。楽しみである。

プロフェッショナル仕事の流儀 新しい仕事スペシャル

 

 

今や子どものあこがれの職業ユーチューバー。これにプロゲーマー、データサイエンティストとくれば
鈴太郎が食いつかないわけはなく、一緒に観ました。

以下の3名が出ていて、日々の仕事の様子や現在の状況、葛藤を映し出していた。
ユーチューバー HIKAKIN
プロゲーマー 梅原大吾
データサイエンティスト 河本薫

 

ユーチューバーはアイディアを形にするために頭をひねり、時間をかけている。
プロゲーマーはひたすらゲームをプレイし続け、攻略法に頭を巡らせている。
データサイエンティストはAIと人間との理解の合間に立って考えている。

ユーチューバーとプロゲーマーについては子どもにとって楽しそうにみえる仕事が、裏ではロールモデルのない仕事であるがゆえに上に悩みながら進んでいることにスポットを当てられている。
特に、プロゲーマーの梅原さんは介護の資格をとって仕事をしていたけれどそちらでは失敗が多く自分じゃなくてももっとできる人がいると思うと落ち込んだというようなニュアンスの話をしており、かといって好きなゲームで食べていくなんて考えもしなかった、ゲームで優勝しても恥ずかしいとさえ思っていたという。
鈴太郎にあとで感想を聞くと
「ゲームが強くて優勝して恥ずかしいと思うんだねー。すごいのにね!」
子どもの頃のスゴイがそのまま仕事になっているという意味合いでは野球選手のようなプロスポーツ選手なんかが近いのかなと思う。
凄さがわかりやすいというのかなあ。プロゲーマー自体がeスポーツといわれてますしね。
大人のこちらからみると、好きなこと・得意なことを突き詰めて特異な仕事に昇華しているっていうのは能力を最大限発揮できる仕事をみつけられて幸運な人たちだし楽しいだろうけど、同時に逃げ場がなくてしんどそうだなあとも思う。
長く続けられないよなーとも思うし。その分の稼ぎを早いうちに形成しちゃって第二のキャリアに転換するというのも手だけれども。


データサイエンティストについてはいま、最も魅力的な仕事といわれている職業だそうな。

その最先端の仕事の中でも、AIの処理速度が人間の理解を超えてしまっていて
なぜこの結果が得られたのかの理解がデータサイエンティストにすらわからないという段階にきているのだとか。


結果の根拠を説明できないのでシステムに組み込む際に周囲の理解が得られない可能性があるという問題の指摘。

実際に現場では、結果の過程がわからないものは導入を見送るといった判断がされているところが映った。


2020年代にはAIが人間の知能を超えるのが現実味を増していると話しには聞いていたけれど、実際のビジネスの現場ですでにそういった齟齬が出てきているというのが驚きだった。

昨年くらいから量子コンピューティングが現実に存在感を急激に増している。

 

シンギュラリティー技術的特異点(Technological Singularity)の2045年問題
「人間の能力が根底から覆り変容」するレベルの現象、科学技術が人の手を離れ自らより優れたものを作り出すようになる時代の到来。いままでの生物40億年の進化の時系列から解き放たれる、別次元に行くといわれている年。


実は、私はこの予測に懐疑的だったのですが、こういう人の知能を超える存在がもう現実に色々なところで使われだしている現在の動向をみると、人の想像の世界を超えるのも時間の問題なのかなと思わされる。

 

そこで、ユーチューバーやプロゲーマーに立ち返ってみると
彼らは生身の人間である自分たちがまず楽しみ、

面白がる姿を世の中の人に見せシェアすることでその対価を得ている。


20世紀の仕事では、処理能力の高い人がお金を得ることが多かったけれど、処理能力にあたるものはすべて機械に置き換えられていくのだろう。機械に意図的では作れないイレギュラーが人間には求められていく。

 

これまでより「個」のもつ「特性」つまり「個性」や「創造力」といったものがより重要だと色々なところで指摘がでているのも頷ける番組だった。

 

20世紀のゲームでは意図しなかったバグ(障害)をゲームの隠れ機能だと子供たちは面白がったが
21世紀は人間が場面に合った機能を意図的に作り出して魅せることができる人を面白がる時代になってきており
私たちはその激変期にいるんだなとひしひしと感じる。
 

最近学校でフツーに
○○について発表してもらいたいので調べたことをまとめて発表してください
という授業が社会やら理科やらなんかを中心に結構ある。

どういうことをやっているのかは公開授業などでみるまでわからないことが多いのだけど
「調べる」ことについてきちんと説明なされている雰囲気がなく
どうなんだ、これと思っている。

 

子どもだけの話を聞いていると
○○について調べてね。
調べるのはネットでも本でもいいよ。
調べることはグループで話し合ってねという時もあれば
先生がサンプルとしてこういう風に調べて発表しますといった提示をしている場合もあるようだ。

 

が、ここで私が気になっているのが
その調べた情報は正しいのか?をどう検証するのか
何を調べるのか
どうまとめるのか

といったことを子供たちに全くレクチャーしていないのではないかということ。

 

どの発表を聞いても


調べた結果がだれのどういうページなのか出典を明らかにしていない
まとめた内容が散漫なのに、形式が似ている

(先生が例として出したものをそのまま真似ている)

 

これでは、将来レポートやら論文書くときになって
コピペはダメですよっていきなり言われても
「なんで?」
ってなりそうだし。

 

トンデモ理論を堂々と主張されて、それおかしいよと指摘してもネットに書いてあったから正しい!
などと言われそう。


っていうか、既にそういう人結構いますよね?
卒論のコピペとかももうだいぶ前に問題になりましたよね?

 

情報に触れさせる、調べさせるなら
テキトーなキーワードで検索して出てきた最初の結果を丸写しして調べましたってやっちゃうのは調べたことにならないというのをきちんとやった方が最初大変でも後々本人も周りも困らないと思うのですが。

特にネットは本と違って複数の目を経て校正や検証されていないデータが満載。
それも日本語となると限られたデータしかないものも多い。
Wikipediaと国語辞典やイミダスではカバーしている範囲はwikiの方が圧倒的に広いが
その検証については曖昧な情報も多く、一般の人がある程度気軽に書き換えたり書き加えることの情報であるという認識をもっていないとマズイと思う。
小学生だからとかまだまだもう少し大きくなってからきちんとなんて言っていると二度手間だし
そもそも、今の子供たちにとっては生まれた時から本と同じようにネットがあるのだから、それぞれの区別も曖昧だし
ネットだろうが本だろうが、その情報が正しいかどうかを確かめてから引用するという前提を教えずに調べろっていうのは随分乱暴だなと思う。

 

とりあえず、鈴太郎に


・ネットで検索する前に何について調べるのかを考える

(検索した言葉をメモしておく)
・調べる言葉によってネットでも結果はずいぶん違う

・調べたページが間違っていることもあるからいくつかのページを参照する
・引用したページについては「○○サイト」を参考にしたと書く
・専門家の意見や本もみることができればベスト
・書かれていることと反対の意見はないのかを確認する
・調べるものによっては日本語の情報は実はそんなにたくさんない。英語だと喋っている人数からして違うから得られる情報が何倍も多いので大事

 

といったことをゲームの攻略を例にあげて説明したがちょっとパンクしてた(笑)

でも、学校でできれば参考するサイトや本についてきちんと書き留めておくことと

1冊の本や1つのサイトをうのみにするのではなく最低2つの情報にあたってみることくらいは呼び掛けて欲しいなあ。

もしくは発表の段階で

これはどこに書いてあったの?

この意見と反対のことは書いてなかった?調べた?

くらい聞いてほしいなあ。望みすぎ?

 

でもその辺問わないなら調べもの学習に安易にネットOKと言わないでほしい。

(本も1冊のみとかだとやっぱりツッコみたい。意味ねーよ。)

あんまり意味ないっていうか害の方がデカイ。

 

というわけで、いい本ないかな?と調べたらこちらがでてきた。

取り寄せて読ませてみる。

 

 

JUGEMテーマ:映画

 

もう2月ですが、正月に家族そろってスターウォーズと梯子してみた作品。

去年上映前に、映像関係の仕事をしていた鈴太郎の友達パパが

 

これは親子で観たほうがいいと思うんですよね〜

 

と言っていたのが脳内に残っていて、新年もロングラン上映しているではないか!いかなきゃー!と張り切って映画館行った作品です。

 

「If you must blink, do it now! (瞬きするなら今のうち)」


作中で主人公の少年クボが何度も口にするセリフですが、まさにこの映画を観る観客の心にすとんと落ちるセリフ。

 



舞台が日本をモチーフにしていること
人形のコマ撮り、つまりストップモーションアニメという素晴らしい技術の粋
ということでロングラン上映になっています。

(まだ上映しているところもあるようだ)

 

主人公のクボ(苗字じゃない。名前である)という少年が
三味線片手に琵琶奏者よろしく物語を語る。


彼が三味線を奏でると折り紙が武者に、怪物に、動物にと様々な形となりその折り紙たちが演奏に合わせて
進み、飛び、戦い、物語を演じていく。

母親はクボを守るために家を出て流れ着いた村に住んでいるのだが
どうもその時にケガをしたようで記憶が曖昧で日中は目も見えずぼうっとしている。
けれども、その母が日が暮れたら決して外に出てはいけないとクボにしつこいくらい警告を出しており
クボは律義にそれを守り、母の面倒を見ながら、大道芸のような形で母からきいた物語を語ることで日銭を稼ぐ暮らしをしている。

あるとき、死者が生きている身内の元へ帰ってくるという話をきき(お盆の灯篭流し)
亡くなった父親に会いたいと思ったクボも灯篭流しに参加。
しかし、そのために家路につく前に日が暮れてしまう。

そこに現れる母の妹つまりクボの叔母2人。
クボに左目をよこせと迫ってくる。
血相を変えて現れる母。

母がクボを守り逃がすのと引き換えに命を失い
その代わりに現れたのがサル。
自分に引き継がれる刀、鎧、兜を探す旅へ。
その過程で呪いから記憶をなくしクワガタムシにされた父の家臣とも出会い旅を続けていくのだが。

父は、母は、クボに何を遺し、何を伝えたかったのか?
クボの出生の秘密は?

といった縦糸を軸に、サルとクワガタムシとクボの冒険ともいえる旅の過程が描かれる。

 

とにかく、この人形を動かしているだけとは思えない繊細な画面が素晴らしい。
お盆の灯篭流し、盆踊り、三味線、折り紙、武士、兜といった日本的なモチーフもわりと現実に即した形や音で描かれておりおもしろい。
三味線の音色はどこか物悲しく、悲劇的な生い立ちのクボの背景を陰影深く彩る。

 

 

描かれる「亡くなった人への思慕」と「敬う心」といった死生観が

非常に東洋的なモチーフだと思うのだけど
そこを物語の肝として染み入るように美しく描かれていて感動しました。

 

なにより、過酷な運命を乗り切るために母が繰り返しクボに語っていたのであろう「物語」の力が
クボに様々な力を与え(お金稼いだり、敵と戦ったり)、彼自身が生きていく上での力になっていく展開がいい。


シャーリーズ・セロン、レイフ・ファインズ、ルーニー・マーラ、マシュー・マコノヒーと声優陣も超一流。

While My Guitar Gently Weepsというエンディング曲がレジーナ・スペクターの哀愁のある声といい三味線演奏ですごーくかっこいい。
原曲がビートルズだって全然知りませんでしたw

日本語吹き替え版は吉田兄弟の三味線onlyバージョンだそうで、吹き替えでも見たいなあ。

 

というわけでオススメ。

大人も存分に楽しめます。

JUGEMテーマ:日常

 

突然右肩が痛み、右上腕部が動かなくなった。

右が骨折した人みたいに使い物にならないので、整形外科へと駆け込んだのだが、その世界がもうどこからつっこんでいいのかわからないほどのカオスだった。

 

紆余曲折あって整形外科は3か所、整骨院1か所行く羽目になりましたが、家から近いので薬をもらいにいくなら近いところかと最初に行った病院を再訪し、その時がトドメだったように思う。

 

まず、受付行ったら体がくの字ならぬ「つ」の字に曲がっているご老人が複数いた。
つの字なので90度ではすまない。さらに進んで110度くらい。

つまり、前をみるどころか自身の膝をみながら歩いている状態なので、前が全く見えていない。

外歩いて大丈夫なのか?と心配になるレベル。そういうおばあさんとかが無言でじりじりと歩いてくるのでそこをまず避けなければならない。あまり昔ほど腰の曲がったご老人を見かけなくなったと思っていたが、超高齢化社会をなめてはいけない。きっとさくさく出歩くわけにもいかず、こうして病院にきてはリハビリにきているのだろう、たぶん。

 

そして、来ているご老人がほぼ全員知り合い状態らしく、受付くるなり待合室の人にも全員挨拶。

あらー今日は遅かったじゃないのーなどと口々に軽口をたたきあっている。

そこに現れるリハビリ指導員(正式名称がわからない)が
「ヨシコさん、来た?じゃあ、リハビリやりますよー。」
と声をかけると、ヨシコさんと思しき老女は
「あら、あんた。アタシ、いま来たばっかりでそんなにすぐ動けないわよ。それができればこんなところ来てないわよ。ちょっと待ってくれない?」
と返す。
リハビリ指導員さんは
「えー、じゃあサキさん、やりましょうか。」と問えば
サキさんは
「あら、わたしだってそんなにすぐ動けないわ。おぶってくれないと。」
リハビリ

「いやだよ、こっちの腰が折れる。こっちも年なんだよ。」
サキさん

「そうはいったってわたしの半分じゃないの。」
といってリハビリ指導員の腕をバンバンとたたく。
「ちょっと、骨が折れちゃうからやめてよーこっちがリハビリしなくちゃ。暴力はんたーい!じゃあトシコさん!」
トシコさん
「はいはい、私がいきますよ。」
トシコさんとリハビリ指導員が退場し、サキさんとヨシコさんは来たばっかりなんだからお喋りしましょうと井戸端会議が始まる。
とまあ、ついて10分で私はもうおなか一杯。


自分の診察でも一波乱。
初診時の先生が風邪でお休みと言われ、別の診察室に行けば

大黒様みたいな神々しいおじいちゃん先生がいた。
が、間髪入れずに「注射する?」
いえ、痛みが和らいできたので、薬と湿布の処方をもう一度お願いしたいのですがと言えば
「はいはい、リハビリだな。」といってリハビリというハンコをカルテにググっと押している。


え?


どっからリハビリという言葉が?とはてなマークいっぱいで座っていると、
「じゃ、リハビリやって帰ってね。」で診察が終わろうとするではないか。
横にいた看護師が慌てもせず
「先生、この患者さん薬と湿布の再処方をお願いしていますよ。」とフォロー。
先生「あ?ああ、薬ね。」といって薬の処方を書き足し「ハイ!」
「先生、湿布もです。」「え?ああ、湿布ね」
「ハイ!お大事に。」
大丈夫だろうか、この先生。

 

リハビリはウォーターベットでの全身マッサージだったのだが、全身とはいうものの、マッサージされているなと感じたのは足、腰、背中の真ん中あたりまで。私の疾患部位は最初に書きましたが、「右腕」

腕も背中や腰に繋がっているから??

ともうはてなマークがさらに増える一方。

一応、リハビリ前にこれはなんですかと聞いたら全身マッサージだと言われたので、そうですかと素直に従ったんですが、痛いのは右腕だともう一度言うべきだったのか。


待合室では四苦八苦してコートを着ていたら、ものすごくスローにしか動けないらしいおばあさんに憐れまれ手助けされた。

 

そしてダメ押しに会計時
「530円です」
といわれて財布を見ると、あれ?お札がない。
小銭も心もとない。
トレイにかき集めて出したら500円しかない!!

「30円足りないので、家族にお金を持ってきてもらいます。」と告げたら大爆笑された。


家人に電話で30円持ってきてくれと頼むと
「一芸やって30円まけてもらったら?」
とヒーヒー笑いながら言われるではないか。

 

えーっと、病院を心の中で盛大にディスった天罰でしょうか。
大丈夫か、自分。

例年おせち作りと掃除でこの数日仕事の時より疲れる事態になってますが、今年はここ2日で

ユダヤ人を救った動物園 〜アントニーナが愛した命〜

オリエント急行殺人事件

destiny 鎌倉ものがたり

と3本映画を観ることができて満足。

上記の中で1番のおすすめは、鎌倉ものがたりです。


来年は放置気味の映画感想サイトをですね、地味にリニューアル中なんですが、移行終わらせて、最近観た作品もアップしていきたいと思います。


それでは来年もよろしくお願いします。




もう年の瀬。

というわけで、恒例のものを自分のために勝手に。

 

Mr.Children/ヒカリノアトリエ

何を隠そうや、私1994年から2年間彼らのライブ行きたさにファンクラブに入っていました。

人気が爆発した時に入会したので、その後行ったライブは全部万単位の動員のでかい箱でしたが。

思い出深いのはそのころの西武球場ライブです。

まだ西武球場に屋根のなかったころ、最前列で彼らを観ました。

最前列と言ってもいかんせん球場。遠い。しかも、スタンド席までの観客に応えるため彼らの視線は遠かった。

それでもちょうどシーソーゲームが発売してすぐのライブだったと思うのだけど

当時の彼らは出す曲ミリオンセラーだったので、そのほとんどを演奏してくれたのもあり

そりゃあもうすごい盛り上がりだったのは覚えています。

そんな彼らが変わらないテイストで2017年の音を響かせていることが感慨深い。

朝ドラ主題歌は鈴太郎も耳に入りやすいのですぐ覚える。

 

 

スピッツ/ロビンソン

ミスチルとくればスピッツでしょう。

彼らのことはここで何度か書いてますが、私の高校時代からの変わらない大好きなバンドです。

本当はこの企画では同じアーティストはとりあげないという不文律を課しているのだが

この曲は鈴太郎の脳に刻まれていて、今年は生で親子で聴くという行為を9年ぶりに実現したということで記念に。

 

三浦大知 / EXCITE

Forlder5がジャクソン5のカバー歌っているときからなんとなくいつも動向を追っている。

最近の進化、人気ぶりは凄いってことで。

 

 

おとなの掟/ Doughnuts Hole (椎名林檎 )

ドラマもよかったし、この歌も素晴らしかった。

 

洋楽編。

邦楽といいあんまり新規開拓しなかった。

過去の曲を延々聴いていたかも。

今回は大物や人気者たちのコラボを。

The Chainsmokers & Coldplay/Something Just Like This

 

Martin Garrix & Bebe Rexha/In The Name Of Love

気づいたら、音楽プロデューサーやらDJやらがいろんな曲をリリースしてムーブメントを起こしているな、と。

このマーティンギャリックスもオランダ出身のまだ21歳!

なのにすでにもう5年位の活動歴がある。早熟だなあ。

世界は動いている。どんどんと新しいものが出てきている。どこまでついていけるかな?と思う今日この頃。

 

 

邦楽編
0歳 スピッツ/桃
     宇多田ヒカル/Flavor Of Life
1歳 スピッツ/砂漠の花
2歳 秦基博/朝が来る前に
3歳 いきものがかり/ありがとう
     嵐/Trouble Maker
     少女時代/GEE
     東方神起/Somebody to love
4歳 斉藤和義/ずっと好きだった
       町田町蔵+北澤組/イスラエル
5歳 きゃりーぱみゅぱみゅ/つけまつける   
6歳 近藤晃央/ブラックナイトタウン
     SEKAI NO OWAR/RPG
     ゆず/イロトリドリ
7歳 ONE OK ROCK/The Beginning
     米津玄師/アイネクライネ
     秦基博/rain
8歳 星野源/SUN
   Superfly/Beautiful
9歳 BUMP OF CHICKEN/コロニー
     Aimer /蝶々結び
   RADWIMPS/前前前世
   宇多田ヒカル/真夏の通り雨
10歳 Mr.Children/ヒカリノアトリエ
     スピッツ/ロビンソン
     三浦大知 / EXCITE
     おとなの掟/ Doughnuts Hole (椎名林檎 )
 

洋楽編
0歳 mika/Grace Kelly
1歳 Jason Mraz/I'm Yours
2歳 MUTEMATH/Spotlight
3歳 Oasis/Whatever
4歳 Russian Red/Everyday Everynight
5歳 Ed Sheeran/The A Team
     one direction/Live while we're young
6歳 Stereophonics/We Share the Same Sun
   Gabrielle Aplin/Salvation
     Fun./We Are Young
7歳 Clean Bandit/Rather Be
     Jose Gonzalez/Step Out
8歳 Adele/Hello
9歳 Shakira/Try Everything
   Green Day/Wake me up when September ends
10歳 The Chainsmokers & Coldplay/Something Just Like This
     Martin Garrix & Bebe Rexha/In The Name Of Love

奥入瀬では渓流釣りと苔の観察、星空の観察イベントをいれていましたが、ずーっと雨のため、星座観察どころではなく。
ただ、苔は水分を含むとルーペや顕微鏡でのぞいた姿がなかなかに華やかだったり
渓流釣りも雨のほうが釣れますよの言葉通り。それも、鈴太郎がガンガン釣り上げてイワナも釣り上げたため
教えてくださった方が筋がいいと大絶賛してくれて鈴太郎ご満悦。

これはよかったというべきか。

 

雨の中、朝五時から渓流釣りの写真。


奥入瀬の散策がそれなりの雨で結構な悪路でして。
天気がよければ自転車でサイクリングも考えていたのだけれど、道は狭いし、視界も悪いし、車通りは激しいしというわけで
取りやめたら、これまた奥入瀬の散策ではブツブツ言いだして上流まで行くのを拒否。
えーせめて銚子大滝くらいまで行きたいと粘ったけど、ダメ。

まあ、上流から十和田湖っていうのも考えたけど、近場の散策でわりと体力を使い果たしたというのもあり引き下がりました。

 


さらに、新青森駅でもう少し時間があれば青森県立美術館か、丸山三内遺跡に行きたかった!!


ブラタモリでやったばかりの弘前も行ってみたかった!!!
あ、でも行ってきたすぐ後に十和田湖と奥入瀬もブラタモリでやりました。


歩いた土地の地層やら成り立ちやらをきくと「なるほど」のレベルもあがってより楽しいもんですね。

とまあ、私の何かみたい熱は高まるばかりだし、家でゆっくりしたい派の血が濃くなってきた鈴太郎やその血脈の家人と一緒ではこんなもんでちょうどいい旅行だったということでしょう。

というわけで、また行きます、東北。

※写真は2017年9月16日したまちコメディ映画祭での舞台挨拶。

左から、音楽の金子ノブアキさん、母親役の神野三鈴さん、主人公・高橋一生さん、監督&兄役・斎藤工さん(監督名・齋藤工)、したコメの総合プロデューサーいとうせいこう氏

最初に述べると、(一応短編も含め齋藤工監督作品は全部観ている)この作品が断トツで好きです。

blank13という映画のプロット。
13年前に借金がもとで失踪していた父親が末期がんと診断されてひょっこり母親と息子二人の前に現れる。
父親は以前の印象とさして変わったようにはみえず、そのまま亡くなってしまい
兄弟は葬式を出すことになる。


ほぼこれだけである。

登場人物たちのセリフも多くはない。

主人公に至ってはそこにいることがすべてで終盤までほとんど会話らしい会話すらしない。
けれども、痛いほど主人公の気持ちが伝わってくる。

時間薬という言葉がある。

しかし、せっかくの薬が当事者の登場でまた効かなくなっていく。
時間とともに薄れていた痛みが抉られる。


主人公や母親の顔は能面のような役割だなと思った。
能面は顔の角度で陰影をつけたり向きを変えることで、その人物の怒りや悲しみや喜びを表現する。
あれに登場人物たちの演技が似ている。

目を伏せる
みつめる


それだけの表現が、一度に様々な感情を連想させる。
齋藤監督の作品は、どれもプロットが盛りだくさんというタイプの映画ではない。
ある事象があって、そこに細かなしぐさや情景を重ねていくことで炙り出されていくものを映像として撮っているように感じる。

観る人によってたぶん受け取り方も微妙に違うけれど、それが余韻になり心が揺さぶられるという塩梅がすごく心地の良い作品。
もともとのプロットが脚本家の方の実話だというのもあるし、主人公を演じた高橋一生さん自身の生い立ちもダブるのもあって、ドキュメンタリーのような手触りのある作品。

高橋さんの生い立ちの話は偶然見たTVで垣間見たものだったのだけれど、
母が結婚と離婚を繰り返し
父親違いの兄弟が3人もいて
母にはお金の無心をされたことで絶縁状態
病気で死期が近いと弟さんに知らされて亡くなる間際に会うことができ、死をみとったというようなことをおっしゃっていた。

よくぞ、このキャスティングを!と思ったし
ご本人もよくぞ受けましたねという代物だと思う。


役者や表現者の業なのかもしれないけど、自分自身からにじみ出てくるものを作品にリンクさせて観ているものの心の中にも波紋を拡げられるなんて、その世界で成功する人たちは、表現するタイミングにも恵まれるものなんだなあと妙に感心してしまった。


リリーフランキーさんやら松岡茉優さんやら神野三鈴さん、佐藤二朗さん、織本順吉さん、村上淳さん・・・
(すみません、芸人さんには本当に疎くて名前があんまり覚えられないけれど、みんな面白かった)
よくぞ集めたなあ!というキャスティング力に驚いていたのだけど、中でも一生さんその人にしか演じられないであろう役を絶妙なタイミングで実現させる力っていうのは、芸術の神様に愛されちゃってるんじゃないかと思った次第。

個人的には、私自身が一見普通にみえる家庭で育ったように思われているけど、親とはいろいろとぶっ飛んだエピソード@現在進行形で複雑な感情を持っているので、いたく感情移入してしまった。
親が痛々しくみえることの惨めさや、普通の家庭にちょっと憧れたりする自分の痛さとか。
相手から連絡が来るときは、いい話ではない時であるとか。


でも嫌なこと、辛いことも笑いに昇華できれば前に進めるっていう座右の銘みたいなものを肯定させてくれる自分のつっかえ棒の一つになってくれそうな映画でした。


とるに足らないことだけど、1つだけ。
兄役の人が降板して、急遽監督自身が兄を演じたと聞きましたが
お葬式のシーンで兄が笑いを堪えているのがわかっちゃうシーンがありまして。
(ご本人も舞台あいさつで言っていたけど)
そこだけ、惜しい。
降板しちゃった役者さん誰だったんだろう。
私は役者としての工さんをたくさん観たいミーハーファンですがこれは監督に専念してもらって観たかったかもしれない。
もしくは監督権限でここだけ撮り直しとか出来なかったかなあ。
そこだけはほんのちょっと思っちゃいました。

 

長文書き連ねてますが、、、

最後に一つ。一番お気に入りはラストシーン。音楽の入り方と煙がくゆるシーンが絶妙。

市川崑監督の犬神家の一族@富司純子の喫煙シーンくらいかっこよかったなあ、神野さん。

黒のバックと窓の外の光とたばこの煙。

いいねぇ。ウェインワン監督のスモークも思い出しちゃった。

本当にいい作品なので来年東京でも新宿で一館だけとはいわず、多くの劇場
で公開してほしいな。

とここまで書いて寝かせて置いたら、

本日朝のテレビで2018年2月24日から全国公開とでましたので全国公開も決まったんですね。

おめでとうございます!!
表現者としての多彩さを観られてファンとしても幸せです。

 

 


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