JUGEMテーマ:育児

 

保育園時代の同級生と続いている集まりがあります。
鈴太郎の学年を1歳児から年長までみてくれた担任の先生の名前になっており
(仮称)ともみ会という。
ともみ(仮)先生は鈴太郎達が1歳になった時に新卒で担当となり

そのまま卒園するまで持ち上がっていったので鈴太郎は丸5年お世話になった。


ともみ先生は、彼らの下の学年も担当していた子が沢山いるのもあって異動後の今も
毎年運動会や学年発表会といった週末にある学校行事に必ず来校している。
今年も親の私が子どもたちの組体操に写真撮りながらでっかくなったなーなどとぼんやりしている横で
子どもたちの成長に感激して号泣していたりするとっても可愛くて素敵な先生。

 

とまあ、そんなワケで集まっている家族が今回は10組。
男女割合もほぼ半分。
一人っ子から4人兄弟まで。
長子もいれば、妹弟がいる家、兄姉がいる家。双子の家もある。
シングルマザーもいればステップファミリーの家族も三世代同居もいる。
ママの年齢も20歳近くの開きがある。
仕事ですら正社員からパート、自営までバラバラ。
なので、保育園で子供たちが同じ学年にならなければ話す機会すらなかっただろう面子である。

学生時代からの友人にはどちらかというと子どもの性別は男子が多いので
同世代の女子親の話は聞く機会が少なく結構衝撃的だったりそうかもな〜と思ったり。

その中からいくつかピックアップ。

 

1.保育園卒あるある 服をすぐ洗いたがる
保育園では外遊び後は着替え、お昼寝前着替えと事あるごとに着替えてきたせいか
小学生になっても、学校から帰宅して靴下を脱ぐと次に外へ出る時は必ず別の靴下を出してきて履く とか
1日着たらもう高学年だし全然汚れてないジーパンや

ちょっとしか羽織っていないフランネルシャツ等も全部洗い物用の脱衣籠へゴー
脱衣籠からだしておいても着ない。
君らはアライグマか。

男児の場合は、さらに服はとっかえひっかえ洗えというくせに自分自身の洗い(風呂)が甘い。
洗ったばかりの頭が汗臭いとかw

 

 

2.卒業式袴問題
私の住むあたりは数年前から卒業式に袴女子が登場し去年爆発的に増加。
保育園や幼稚園にもその勢いが波及。
現在過熱気味で袴の予約は前年の卒業式が終わったばかりの4月に押さえないと選択肢がないというレベルなんだとか。
袴の予約、着付けや髪の毛等の美容院の予約、写真とトータルで10万単位かかる。(だよねぇ)
女子は成人式もあるのに、なんてこった!
妹のいる家庭はブームが終息するか学校の方で中学の制服でといったお達しがでないか願っているらしいが
なんとなくだけど、女子の袴は定着しそうな気がする。

 

 

3.お付き合い問題
小学生で彼氏がいるのはもはや普通だそうで・・・
(しかし、男児達からは彼女がいるという話はでないのが不思議w)
付き合っているって何してるの?と問えば
一緒にファミレスやらチェーンのハンバーガー店でお茶したり!
人によっては映画観に行ったり!!
してるそうで。
それ、普通にデートだ!
近くの公園でお喋りとかじゃなく?!
映画館って電車乗ったりして連れ立っていくの?と問えば
そういう子もいるらしいが、ともみ会の中のママにはなんと
親が映画館へ送迎しているとの返答が。


マジか。

 

鈴太郎は中学に行ったら絶対に彼女が欲しいと言っているのだが
それは中学生なら親無しで電車に乗って映画館とか普通に行けるよねって言ってきたことがあって
親送迎の映画館話等を聞いたんだな(笑)とこれで思い当たった。

 

 

4.姉も強いが妹も強い問題
昔からなのか今がそうなのか、たまたまなのかわかりませんが
総じて、長子が男児の方が妹弟に対して優しいそうな。
ブツブツ言ったり、ケンカしながらも妹や弟のお迎えに行ってといえば兄はやる。
姉の場合は「イヤ」と言ったら本当にイヤで絶対に行かないんだそうで。
ちょうど高学年になってくると低学年くらいの兄弟と一緒に歩くのがなんとなく恥ずかしいとかイヤだとかあるみたいですね。
男の子の方が全体的に優しい。そして、5歳差くらいだと絶対に妹弟の方が強い。
兄は弟や妹に泣かされたことが一度や二度ではないなんて話もデフォルト。

 

この日も、ドリンクバーでセルフサービスなので各自ソフトドリンクを取りに行くようにと言ったら
6年女子は誰一人動かずカードゲームをきゃっきゃとやっており
6年男子が自分たちの分を取るついでに女子達に何がいいの?とリクエストを聞いて
もっていってあげてた。
妹、弟たちはキャッキャいいながら兄ちゃんたちに交じって自分たちでやりたいお年頃〜って感じ。
上の子たちの面倒をみてくれるというよりは、下の子たちの方に

男子軍団を選ぶか、女子達と一緒に遊ぶかの選択権がある感じで面白い。

 

ちなみに、鈴太郎はその様子を見聞きし、友達が妹ほんとイヤだよ!と愚痴ろうが
きょうだいがいるなら、兄でも姉でも弟でもなく、絶対に妹と言い切ってた。なんでやねん。

 

兄と姉はいとこたちがいっぱいいるからかなー。でも弟は嫌なんだそうな。

そういわれましてもね。

学校でも女子の方が話しやすい子が多いとか中学も共学の方がいいとか

無類の女好き(?)ぶりにエロ太郎と家人に呼ばれている。

ジェンダーフリーと言われて久しい。

最初に言っておくが、私はこの辺にはさして詳しくはない。


が、男の子らしさや女の子らしさ、性差の問題はかなり小さいころから子供自身の中に差異があるのでは

というような文章を読んで違和感を持った。
検索できる性差、ジェンダーバイアスに関して子供たちを観察対象にした論文をちょろちょろ読んでみたのだが
ここで「子供」とされているのがすでに3歳以上が多いことに気付いた。

幼稚園児や小学生を対象とした結果なのだ。

0歳児から預かる保育園での研究結果が見当たらなかったのはなぜだろう。


検索の仕方が悪かったのか。

まず、立つ、あるくのような発達に関わる部分の確率の方が先だからだろうか。
もしくは、そのころの記憶が成長すると本人にはないからなのかなあ。

 

例えば、鈴太郎は1歳から保育園に行き
喋りだした頃の口調は圧倒的に女性の口調だった。
保育者がほぼ100%女性なので当たり前である。
そして、おままごと大好き買い物ごっこも好きだった。
1,2歳の頃は、保育園にはゴムのスカートがいくつもあって
男の子も女の子も関係なくみんな「買い物にいく」となればそのスカートを履いて買い物へ行く。
まあ、これもある意味ジェンダーバイアスで
買い物と言えば、スカートを履いた人(主たる育児者=母親)がいくもんだという刷り込みから来ているわけだが。


鈴太郎の場合は、髪留めやアクセサリーも好きでよく髪につけてくれとねだったし
大人の真似というと掃除や料理を見よう見まねでやっていた。

11歳の今でもそのあたりの感覚はあまり変わらない。


そういえば、弟も私とよく超合金や電車で遊びつつもままごとだのごっこ遊びだの色々やっていた。
これが、兄が長子となると逆のパターンが多くなり電車や戦隊ものの武器で遊ぶ妹という図がでてくるのだが。
つまり、男女差による脳の違いというよりも、もって生まれた性質と日々子供が目の前でみているものが何なのかという環境の影響の方が大きいのではないか。

 

弟の話でいうと、彼は小学生の頃はミスター味っ子などの料理漫画にはまって作りたがったのでよくその補助をした。
これがよかったのかよくわからないが、今やすっかり節約主婦のような人になり

休日はチラシをチェックして一週間分の食料をあちこち買い集め
三食+平日のストック総菜作りに明け暮れ、食費を安くあげてかつ品数豊富に料理ができると非常に満たされるらしい。
合間に子供と一緒に何かやるのも大好きなので、一緒に買い物したりスポーツしたりしているらしい。

※ちなみに小6女子↑

義妹は週末1日はいつも半日は一人で出かけてあと半日はジムで集中的にトレーニングしているそうだ。

反面、仕事が苦痛なタイプでしょっちゅう心身のバランス崩し気味になってますがね。

 

鈴太郎も字は汚いが元来丁寧なタイプらしく
洗濯物はたたみ方をちょろっと教えただけだがとってもきれいにきっちり畳む。

ベットメイクも私より断然うまい。
料理作りも好きなようなので、時々やってもらっている。
ぬいぐるみ等も今でも嫌いではない。
仮面ライダーは結構大きくなるまで敵が怖すぎるといって結局あまりちゃんと見てなかった。
唯一全部リアルタイムで観たといえるのはフォーゼだけ。
映画やアニメは何でも好きだが、再現VTRなどで殺人事件モノなどは今でも観ると

トイレいけないとか言い出すタイプなので「男らしい」子ではない。

 

ホラー関連で思い出したが、中学生の時学校のキャンプ宿泊行事で先生方が野外スクリーンに用意した映画は
死霊のはらわた

であった。

これが最も怖いシーンになった時に風でスクリーンが自分たちの方に倒れ掛かってくるというハプニングがあった。
実際には距離があるので、倒れたところでこちらには届かないのだが、いかんせん最も人を怖がらせるシーンで画面が自分たちに迫ってくるのだからみんな大パニックになった。
女子もそうだが、男子でも同じくらいの人数が叫びながら号泣&手つなぎで全力疾走で逃げたり、恐怖のあまり腰を抜かしたりしてた。
一定数の平気な男女はその逃げ惑う人々を観ながらゲラゲラしていたわけだが
こういうのって結局小さいころから繰り返し
男なら泣くんじゃない とか
男らしく女の子を守りなさい
などと口を酸っぱくして親から言われるとそう意識するだけであって
男は女を守る本能があるとか、キャーキャー怯えるのは女子だとかは全部後付けなんじゃないのか。

 

というわけで、子どもには男のくせに、男の子ならといったフレーズは使わないようにしている。
義母がちょくちょく男の人は注意力散漫で身だしなみも妻や女性が気を付けてあげないと〜 とか
こういう時には妻が動いてフォローするべきだ とか
言ってくるけど鈴太郎には
自分の服や持ち物は自分で確認し管理できるようにと言い直し
こういう時は「誰が」じゃなくて「動ける人」が動く。
君も手が空いているなら動かなきゃいけないから覚えよう
といったように働きかけちゃってます。

 

女だからやらなきゃいけない、男だから稼がなきゃいけないではなく
生きていくために、自分のことは自分で行うのは基本であり
一緒に住んでいるなら役割は出来る方がやるというように効率よく分担するのが普通であると繰り返し
実際に私と家人で分担する姿をみせる。
どちらかに偏重した場合は、家人と私の間で調整。

すべてを平等にとか負担を考えて割り振って〜と常にうまくいくわけではないので
2人の間で話し合って納得できればOKなんだよと言っている。

 

これが正解かはわからないけど、
私の働く環境だと
電話をかけたときに女性の声の方がいいだの
女性の入れたお茶の方がよくて男性がいれていると残念な感じだの
ちゃんとしたお茶を淹れてもらっているのか疑わしく思えるだのという

 

アウトー!

 

とでっかい声でいいたくなるような発言が平成がおわろうといういまもまかり通っているんです。
こういうこと言うのはだいたい40overですが
こういう発言をしれっとする人たちは
片づけない・汚す・電話無視。

交換手なんていねぇんだよ!
顧客対応電話だから全員電話でるんだよ!といったところで絶対に出ない。

あたしゃフェミニストでもないし、女の自立だどうのとかいってるんじゃなくて
人に向き不向きがあるのはわかるけど、それをジェンダーのせいにするなと言いたいし
できることはやる、できないことは助けてもらうっていう生きやすい人になってほしいだけなんだよ。

子どもを塾にやるとよく都市伝説のように聞くじゃないですか。
入塾したとたん、うなぎ上りにどーんと成績を伸ばしてあっという間にトップクラスにいく子がいるなんていう話を。
あわよくばわが子がなんて思ってもそんなうまい話はないよねーなんて思っていたところ。

 

身近にいました。

 

ある時、鈴太郎が最近塾に入ってきた子が面白くて途中まで一緒に帰ってきていると言い出した。
フーン、よかったねと聞いていたのだが、帰り道その友達も一緒にいた時に遭遇。

 

私と目が合うなり
「こんばんは!鈴太郎くんのお母さんですか?」
と向こうからハキハキと声をかけてくる。ここがまず違った。
わー挨拶してきた!とドギマギしながらもこちらも
そうです、よろしくねみたいな挨拶をしたのだが。

子ども同士の会話を聞いていても
ものの数分なのに、向上心があって素直で利発であることがビシビシ伝わってきた。

というのもですね
鈴太郎がゲームの話をするのに適当に相槌をうったと思ったら
今日やった授業であの先生のあの話面白かったみたいなことをペラっと話す。
鈴太郎も、あー面白かったね
と返すと、すかさず〇〇を復習するといいと言ってたよねみたいな確認事項まで挟んでいた。
△くん今回クラス1位かーすごいね。僕も1位取りたいなと笑顔。

会話の次元がその時点で鈴太郎と違った。

 

別の日に家人も同じように一緒になってやっぱり一発であの子、賢そうだよねと言ってきた。

 

と思ったら半年くらいでどーんと駆け上がり
1年経ったら全国模試で成績優秀者として名前が載るレベルに到達。

今でも私にたまに会うと
「お久しぶりです。」
と向こうから声かけてくるんですよー爽やかに、笑顔で。

 

ちなみに、この男子結構美形くん。
お父さんもイケメンパパで親子そっくりな風体なので
うわぁ、天が二物も三物も与えとるがな、世の中不公平じゃという気持ちになる親子(笑)

 

うちはうちよそはよそと思ってもなんだこの違い!ってちょっと凹みました。

 

塾には全国模試(全国で1万人くらい受験する)で1桁順位をたたき出す子どもたちの間では天才と言われている少年もいるらしく
その天才に追いつき、追い越すことは出来ないのか?という闘志あふるる子なんですよねー

塾のシステムが最大限にうまく作用するタイプ。

 

鈴太郎は
「天才くん今回算理社が満点で国語は2問落としただけだってースゴイヨネー」
と鼻ほじりながら他人事ですからね。
まあ、背中も見えないレベルだからそれは仕方がないのだが。

 

本当はその圧倒的無力感に苛まれるのはもっと先でいいと思うのだが
もうわかっちゃったからにはその神様相手に自分は何で勝負できるか?っていう自分のウリを発見して
自分自身の可能性に賭けて欲しいなあと思うのですが、まあ人生なかなか思うようには転がりませんね。

 

ちなみにこの利発美形男子にはさらに最近の後日談もありまして。
最近みたら、がっつり眼鏡かけて美少年ぶりが隠れ気味になり
かつ「勉強夜遅くまで頑張っているんだね」
っていう感じに小柄で華奢な男子になっておった。
一緒にいた男女が揃いも揃って小柄華奢児童で雰囲気そっくり。
鈴太郎いわく、その集団がトップ集団であったw


鈴太郎も華奢ではないがわりと小柄で手足は細い子だったのが
この1年で背が急に伸び思春期突入で少年っぽくなってきたので
その少年たちと並ぶとなんかでかくてがっちりしてみるのも衝撃的だった。

子どもの成長の仕方がよくわからん(笑)

JUGEMテーマ:映画

 

2000年代に入り
アイアムサムのダコタファニング
メイジーの瞳のオナタ・アプリールについで真打が登場しましたよ。
ギフテッドの少女メアリー演じるマッケンナ・グレイス。

 

20世紀に天才子役と言われた
ナタリーポートマンやジョディフォスターはのちにオスカー獲りました。
上にあげた少女たちも大人になって充分にその力があると思わせる演技力をすでに子供の段階で備えている。
世の中にはメアリー以外にも天才はいっぱいいるのね・・・という気持ちにさせられるギフテッド。

 

私の中ではアイアムサムとメイジーの瞳と三部作と言いたい。
すべて少女の目を通した映画で
観終わった後の気持ちが似ている作品です。
それぞれの葛藤を時にぶつけたり自分で消化したりしながら相手との関係を作っていく家族の話。

 

ギフテッドは、本人の能力に対してのアプローチの違う祖母、母、母の弟という大人たちがいる。
自分でも持て余し気味の高い能力をもった少女を前に数学者だった祖母は天才として伸ばしてあげたいと一流の講師をつけることが彼女の幸せだと信じて疑わない。


そして、同じくギフテッドだった母親は、母(メアリーにとっては祖母)との確執に疲れ自殺してしまっている。
その姿をみて娘を託されている自身も能力が高かったであろう弟は、早々と戦線離脱してガテン系の仕事で生計をたて親とは絶縁状態になって姪を育てている。


姉や自分のように屈折した想いや確執を持った人間にしたくないと祖母から遠ざけ「普通の」生活を送らせようとするのだけど
息子と孫を見つけ出し、その能力の高さを目の当たりにした祖母は親権を巡って裁判を起こす。

 

メアリーは叔父と一緒に暮らしたい。
けれども普通の小学校では勉強したいことがなくて浮いてしまう。


数学書を嬉々として読むメアリーに対して、どう養育していくべきか周囲の大人たちは悩み、自分なりの解をメアリーに差し出す。

 

メアリーのこのアンバランスさは養育する身になると本当に大変だと思うけど
映画として観ているこちらにはとにかくそのアンバランスさが魅力的で愛らしい。


様々に降りかかる現実に涙したり怒りを爆発させたりしながら、家族の関係を築いていく姿にじーんとする。

叔父にとっても姪にとってもそれぞれの存在が代えがたいギフトでもあることをこの作品は余すことなく描いている。
メアリーと叔父の隣人女性役がドリームにも出演していた女優。
フォートランのシステムエンジニア先駆者が、ここではメアリーたちの太陽のような明るくて歯に衣着せぬ女性として登場し、観客の心を代弁し
彼女の眼を通して映画の物語の世界へと入りこませてくれる。

 

なかなか素敵な作品です。

JUGEMテーマ:映画

 

書き溜めたはいいが、リニューアルした映画サイトをいつまでも作りこむことができないのでこちらにも投稿します。

 

 

娘を何者かに殺された母親が主人公。
アメリカ南部、ミズーリ州の田舎町。
誰もが知り合いで有色人種や同性愛者への差別を隠そうともしない人がちらほらいたりといった閉塞感満載な町。
進展しない捜査に業を煮やした主人公ミルドレットは寂れた町のこれまた寂れた道路に半ば放置されていた3枚の看板に広告を出すことを思いつく。

3枚の広告にはウェルビー署警察署長宛に「娘の犯人逮捕はまだか?」といった皮肉を込めた非難の言葉を。
署長を敬愛する警察官ディクソンが発見し、騒ぎとなるが一歩も引かないミルドレット。
一方でディクソンは暴力的な警察官でウェルビー署長を尊敬しつつもたしなめられようが差別意識丸出しで一向に粗暴な面を改めようとしない。
ミルドレットが自分の言うことを聞かないとわかると、彼女にかかわる周囲の人間に暴力を振るう。
そして、それを聞いたミルドレットがまた憤る・・・
とどんどんヒートアップしていき、たかまる緊張感と不穏な空気。

生まれてから死ぬまで同じ土地で代々暮らしている人たちの濃密な人間関係と気怠さと閉塞感が迫る。


この空気に耐えられるタイプと耐えられないタイプがいて、私は後者なのでひたすらこんな街はイヤだ
戦うよりも逃げて全然別の人生を送りたいと思いながら観ていた。


だから、ミルドレットが悩みながらも一歩も引かずにその土地で憤りの声を上げる姿に心底スゴイと思うのだが
絶対に自分は出来ないという諦観も強く感じて言い難いモヤモヤやらなにやらいろんな感情が揺り起こされた。
映画ってすごいなー素晴らしいなと思うのはこんな時。

 

で、そんな風に感嘆していると物語はドカーンとでっかい起承転結の転を迎え
えええええええー!って思っているうちにエンディングがやってくる。


その終盤でのミルドレットとディクソンのやり取りも私は自分なら絶対にこんなこと言わないし、言えない。
すげーな、何物も恐れず立ち向かっていく人たちって。

そしてそして、この作品にはワタクシが「魔界系俳優」と名付けてご贔屓にしている

ケイレブ・ランドリー・ジョーンズが広告代理店のレッド役として出ているんだけれども!


魔法かかっちゃってて、中盤まで気づいてなかったw
このレッドがですね、ディクソンにオレンジジュースを置くシーンがあるんですけれども
そのシーンの表情が素晴らしくて鳥肌が立ちました。
こんな顔しちゃうのか!
私の心の中の渦巻きがどーんと溢れたシーンでもありました。
これは映像でないとわからない。

スゴイシーンだったと今思い返しても思う。
 

池上正 子どもを伸ばしたいなら、大人は離れること
サッカー指導者・池上正さんインタビュー(上)50万人の子どもを見てきて、感じていること…「失敗してOK、大人は消えてOK、放っておきなさい」

 

「できない子」のほうが、大人になってから伸びる
サッカー指導者・池上正さんインタビュー(下)会話のスタートは「今日は楽しかった?」という質問から始める

 

もうね、頷くことばかりでいっぱい引用しちゃう。

 

「親たちが自分の世界というか、自分がやりたいことがあって、子どももやりたいことがあって、お互いがそれぞれやろうよ、というような時代が来なければいけないと思っているんです。」

 

「成長期って、運動と休養と睡眠がすごく大事なんです。なのに、日本には休養がない。Jリーグの育成チームなどで活動する子が、中学3年になって受験を迎えるとき、1カ月練習を休みます。すると1カ月後、全員体が大きくなっている。それは太ったということではなくて、背が伸びてがっちりしているんですね。なぜかと言えば、規則正しく睡眠をとれて、食事を取っているからです。Jリーグの練習は、夜にやるので寝る時間が削られたり、ご飯を食べる時間がなかったりするんですね。休養というのは本当に大事なことなんです。基本、やり過ぎなんですよ。」

 

「能力がいつ開花するのかは個人差があって、本当に分からないんです。ただ、間違いない話で言うと、小さいころによくできる子たちは、それ以上伸びないことが多いです。そのまま普通になっていく。できなかった子たちがその後ぐっと伸びて追い越していく。」

 

「日本人は常に“1位”の話をするんですよね。今20番目くらいにいる子に対しても、10番になったときは〜という話はしないで、1位になったときの話をする。20番くらいの子がいきなり1位を取るのは大変なことですよ。でも日本の文化はなんでも1番がいい。」

 

「見ないほうがお互いに幸せですよ」とよく言うんです。お母さんは見ないでいて「今日はどうだった?」と聞いたときに、子どもは「楽しかった! 今日は2点も入れちゃった!」って嘘をついておけばいいんです(笑)。そして、親はわざとだまされておけばいいんです。親だって、この子本当は入れてないよな、というのは分かりますので(笑)。「じゃあ、今度見に行ってもいい?」と言ってみる。「いや、来なくていいよ」と言ったら、だいたい嘘だなって分かるじゃないですか。そんな感じでいいんだと思います。」

 

引用ここまで。

これはあくまでサッカーの話ですが。


ほんとだよ!


部活やクラブチームの毎日のような練習とかやりたい人はやればいいけど、強要しないで欲しい。
自分が子供のころからこの連日の練習とかがどうしてもダメで小中高大とやってみたいスポーツ一切やりませんでした。まあ、もうちょっと根性もとうよっていうところも自分にはあるんだけど(笑)


自分自身運動全般そんなに得意じゃないので下手でも楽しむっていう空気が特に子供向けのクラブや部活にはないのがイヤで。
努力する前に巧い人の邪魔になっちゃうなとか考えちゃうわけ。
子供心に自分の立ち位置はわかるからね。
なんか期待されてないし、そんなに能力ないのに多少努力したところで無駄かなって思ってしまうんですよ。
すぐできない子にできないよねって言ってしまうと、それが本人の型になってますますできるようにはならない。
じっくり努力するとできるようになるかもよ?まずはここまではダメでもこれやってみようみたいな声かけがあるだけでもどんくさい子には違うと思う。と、どんくさかった子供として思う。

 

別にレギュラーになり、一番になるとか優勝するとかが目標でなくてもいい。
大人になってからも子供のころ触れたスポーツを楽しむことができるほうが重要かなと大人になったいま思います。
下手でもなにがしかやった経験がないと、大人になってから初心者状態で始めるほうがハードルも高いし始めづらい。結果、やらない。

 

一番になってもさ、じゃあそれですごい稼ぎになるかとか
人の記憶に残るような人になるかというと違う場合が多いじゃないですか。
かえってその一番だった過去があるゆえに長く苦しむ人もいる。

 

メジャーな例でいうと野球。
ドラフト1位とか甲子園で活躍したとか。
それ自体が才能も能力もあって、本人が死ぬほど努力して得られたものなのに
プロの世界で巧く活躍できないことのほうが多いし、活躍しても思ったより選手生命が短くてその後全然違う仕事をしているなんて人がごまんといる。

 

でも、子供のころにある程度やったことがないと大人になってからいきなり草野球チームに入ったって
ボールはとれないし、球は打てないし、チームスポーツだから足を引っ張るのがわかると余計にやりにくい。
楽しむどころじゃない。

子供のころの記憶でダメだった、やりたくないっていうなら別のものをやればいいけど
やってみたかったけど、できなかったっていう状態が一番不幸かなと思う。

 

というわけで、時に嫌がる鈴太郎にはいろいろかじらせました。
結果的に身体を動かすのも体育も好きになったからまあ、いいかってところ。


が、しかし。

「放っておく」これがいま私のテーマなんだけど、こっちが難しい。


私自身が、学校のことやらなにやらはほぼ低学年から親はノータッチだったんですよね。

 

これは、優秀だったからとかではなく

もともと自分の親は子供の学校や友人といったものには興味が薄くて
学校の成績表もテストもこちらからみせないと「みせて」と言われたことはないし
何かで賞状もらったりしても、フーンで終わりだし
勉強から進路や就職、結婚もこうしますとは言ったし

お金のかかるところはこうしたいけどいい?と聞きましたが

基本的には自分の中で結論が出てから親に話すスタンス。

で、特に出した結論に対して反対されたことはなかった。

何か言われたときもあった気がするが全く記憶にございませんw

 

友人関係も小学校低学年のころまではとにかく引っ込み思案で全然話せなくて友達も超少ないし
どちらかというと対等ではなく上下関係ができてしまう雑魚キャラタイプでいたが、自分で対応できるように試行錯誤。

 

たくさん失敗して後悔もいっぱいあるんだけど
親にあれこれ指図されていたら、どこかで爆発したか、自分で判断できない大人になっていたかなと思うので
やっぱり放っておかれて正解だったんです。


とはいえ。

私自身、子供をうまくのせることができないことが多くて
これが私自身の親としての結果なんだよと突き付けられている・・・と思いますねぇ。
本人の個性やもって生まれたものはもちろん大きいけど
本人にとって響く方法とやらが一筋縄ではいかず、親と子は別の個体であるっていうのを常々感じる今日この頃。
そろそろ手を放していくべきところも多くて、いくつになってもその時々で親って難しい。

その1から間が空いた上に、殆ど塾の話関係なくなっているけど、強引にその2。

 

私の中では、子供自身が
自分は何が得意で、将来それをどう社会に役立てていきたいかというのに本人が考えて気付くようになるのが大事だなあと常々思っています。
とはいえ、頭良い子ってそういうのなくても勉強はできちゃうんですけどね。
塾の選定の時にあちこち話を聞きに行った時にもポロっと
塾側が中学受験は本人の(その時の)能力によってどれだけ勉強してもしなくてもある程度決まってると言ってたけれど
まさに。

だから、学校側でも進路指導では、まず大学入ってから何やりたいかは考えろっていうところもある。
(私の時代はそれが当たり前でもあったし)

 

しかーし!
あまり考えることなくどんなにスゴイ大学やら会社やら入っても、結果的にはマズイんじゃない?って思う。

 

というのも、今自分の年代はちょうど働き盛り。
大学受験というと人数多いっていうのもあって大変さを煽られた世代であり
いい大学へいって、大企業に入るか公務員試験に受かって安定させるっていう価値観が大手を振って歩いていた最後の(?)世代。


その価値観が崩れ気味になってきている今
バリバリ働いている人もいっぱいいるけど
そんなに優秀なのに?!っていう人が
メンタルの不調で会社を辞めたり、休職したりっていう話がゴロゴロしてる。

精神に不調をきたすほど現代の仕事が厳しいというのは一つの解としてある。


けれども、それだけじゃないとも思うわけ。
合わない仕事をしている人が多いのではないかと。
能力高くて真面目な人は、結構危ない時代だと思う。

 

合わない仕事をしている人で最たるものの例をあげるとまず医者が浮かびます。
これ、本人のメンタルがっていうより患者にとってだけどw
絶対にあなたは医者向きではない!っていう医者いますよね?!
外来やっている医師は老若男女に会ってヒアリングして今の状況をわかりやすく説明するっていう究極のコミュニケーション能力を要求されるわけ。
もう難しい話や横文字がでてくると理解できない老人に
杓子定規に何度も同じ説明を感情交えずにするとか正直「このコミュ障め!」と毒づきたくなるし
子どもが心配で不安なお母さんを怒鳴りつける小児科医とか
患者が述べた症状そのままにバンバン薬を出しまくる医者とか
なんだかえらく不器用な外科医とか嫌ですよね。


でも全部これ実話。


ゆえに
受験制度上最もその試験を高得点で潜り抜けるであろう母集団が医学部に行くっていうルートが現在あるようですが
頭が良いから医学部っていうの反対です。
ふざけるなって思います。

 

閑話休題。
先日、高校の時凄かった天才、秀才は今何をしているのか?みたいな番組の再放送をやっていた。
その中で京大に進学した女性が出てきていたが、学ぶことにそう興味はなく
走ることが好きだとかで色々やっているうちに大学は退学になりロードレーサーになっていた。
アラフォーの女性だったけど、それだけで食べていくのは大変で他の仕事もしながらやっていると言ってた。
好きなことや得意なことが沢山あって、自身で選択した人生を楽しんでいて良いなとは思う。

が、外野の余計なツッコミであることを重々承知で言っちゃうけど
頭脳も身体能力もずば抜けているものを持っていることは高校生の時点で教師の回想でもあきらかだったんだから
何も教師が京大進めなくても
プロスポーツでもっと早い段階から生計を建てて名声を得てから何か別の仕事をしても大きく成功したんじゃないか?という気持ちが拭えない。

その辺の生き方も含めて周囲には回り道だろう、無駄だろうと思うことも本人にはそうではないんだよなぁ
そこも含めて本人の特質なんだろうとは思うものの、能力高い人の紆余曲折をきくともったいない!って思ってしまう(笑)


その国や時代にマッチした性格や性質を持っているか否かっていうのは運だしなー。
こちらは回り道しまくってようやくまっすぐな道はこれだったか!っていうタイプなので回り道ゼンゼンオッケーなんだけど
要領の良いタイプにはたまーに
「なんで失敗するとわかりきっていることをやるの?地雷に突っ込むのは趣味か?」
と言われたりする。


まあ、趣味なのかもしれない。

 

ちなみに、地雷を踏みまくって何の役に立っているかというと
人間関係しかり
子育てしかり
仕事上でもしかり。
結構いろんなところで役に立つんです。
もともとはメンタルも弱い方だったと思うのだけど
踏まれ過ぎて色々雑草も生えるうちに、なんか慣れてきたっていうんですかねw
鈴太郎からみて、私は楽しそうに生きているらしいので、そうみえるならいいかなって思うんですよね。
そうじゃないときもあるけど、自らの人生を楽しくするのは己しかいないわけですから。

というわけで鈴太郎にあーでもないこーでもないとやっていることも9割がた無駄なんだろうなと思いつつ。

それでいいのだー!

 

私は彼の周りで観察できる大人の一形態の一つ。

それをいいと思うか、反面教師にするのかは彼次第。
 

JUGEMテーマ:日記・一般

 

書こうか書くまいか迷ったのですが、記録として。

住んでいる地域では学童は3年生までなので
4年生からどうしようかなと3年生の間に色々考えたり試行錯誤していました。

義母にも
「塾に行かせないの?」
と再三言われてきました。

もう1年彼の成長を待とうか資料集めたり見学に行ったりして家人と2人考えてみたんですが
結果、4年生から受験を見据えて塾に通わせています。

 

義母は、ビックリしてました(笑)


学校の補習みたいな感じで近所にのんびり通わせたら、こちらもカリカリすることは減るかしら位の気持ちで言っていたようでよもや受験を考えていたとは!突然どうしちゃったのと言われた。
私自身がそれほど教育熱心なタイプじゃないんで。

鈴太郎の様子をみながらなので迷っていただけなんですけどね。

 

ちなみに、家人も中学受験したクチなのだが、あまりにも時代が違い受験自体全然参考にならない。
家人は就職まではそんなに深く考えずにすんなりいって、就職後に会社辞めて学生になって資格とってと色々と試行錯誤したタイプ。

鈴太郎のいとこたち30歳くらいから大学生までも千差万別だけど

とりあえず全員大学までいって就職というルートではある。

それみてても結局どこで頑張るかの違いというだけの気はする。

 

鈴太郎も、今のところこういってはなんだが
わりと先生受けのよいタイプ(なにせ全てにおいて古風というかじいさん風味だからw)で、
学校のテストや授業ではほぼ困ることはないから
通知表では「これ誰ですか?」っていうくらいゲタを履いた評価をもらっているタイプ。
かつ家人以上にマイペースで自分の意志をつらぬくので公立でもなんとかなるとは思う。

 

しかし、選択肢がある。
内申点を気にして何かをやるとかやらないとか考えるよりは別のベクトルで教育を受けて欲しいというのが一つ。


もう一つは、学校によって理念が千差万別で面白いというところ。

 

中一なんてまだまだ子どもですからこっちで手取り足取りやります
勉強させます
スポーツも芸術系もおろそかにはさせません!
という気合いの入った学校から

 

本物志向で子どもたちの興味や可能性を引き出します
といった楽しげな雰囲気前面の学校やら

 

本人の自主性ややりたいことを伸ばします
限りなく大人と同じように扱いますという自律や自由を謳った学校まで

 

親として子どもにどう成長していって貰いたいかを問われる。


 

最後に、決め手になったのが参考書や塾のテキストと入試の問題。


単純に「大人が」みて面白い。
子どもでこの辺を面白いと思える子は上位層にいきますw
なので、12歳が覚えて理解して解くにはちょっと大変。
けれども、そこに書かれた問題や考え方は、大人になっても無駄にならないんじゃないかなーと。
ぶっちゃけ高校や大学受験よりもよほど普段の生活や知識に繋がっていると思う。
知識の土台っていうんでしょうか。


その土台の大きさやそこからの発想の切り口などは学校によって求めるレベルやタイプがあるようですが
これは勉強して無駄じゃないなと感じたのが最も大きな理由。

 

で、いま六年生なのでそろそろスパートかかってくる時期に差し掛かっているのですが、これがもうねぇ。
後から書けることは書こうかなと思うけど、「このやろう!」の連続だと書けば経験者である親はわかると思うw
とりあえず、がっつり子どもと組み合うという意味での子育てはこの小学生時代で最後かなと感じながら味わってます。

っていうか、算数以外はわたくし抜かされる気がしませんw(だめじゃん)

まあ、算数勝負だからいいんだけど。(いや、よくないw)

 

余談。

この漫画、わりと臨場感あります。

こんなに子ども毎にカスタマイズしてやる気を引き出す大手塾はないと思うけどw

親がどう塾を使いこなすかっていう方が大きいし、これがなかなか難しいのであーる。

JUGEMテーマ:日記・一般

 

今年は小学校入学から高校卒業までをゆとり教育で過ごした最初で最後の世代が大学新卒で入社する年なのだそうな。
ここで1995年という時代について個人的にも世の中的にもエポックメイキングな年だったので振り返ってみる。


そもそも切りのいい数字で戦後50年。
これだけでもうなんか時代として語れてしまう出来事なのに

1月17日に阪神淡路大震災が起こり
3月20日には地下鉄サリン事件が起こり
オウム真理教の一連の事件や逮捕があり
11月23日にはwindows95日本語版が発売された。

 

世界の出来事では
元旦にはWTO(世界貿易機関)が発足し
8月にはボスニアヘルツェゴビナ紛争に絡んだNATOの大規模空爆から
10月には停戦協定が結ばれ、4年に渡った紛争が終結
という時代。

 

国内で世界にもニュースになるようなものすごい事が次々起き、どうやっても忘れられない強烈な年となった。

 

そんな世相の中、音楽といえば私の中ではこの2曲。
4月に発売されたスピッツ「ロビンソン」
8月に発売されたMr.Children「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜」
(世の中的にも上記のようなバンド<そのほかB'z、ドリカムetc)小室サウンド、マイラバなどの小林武史といったプロデューサー時代の到来)

当時私はミスチルを聴きに行くためにファンクラブに入り
スピッツも高校生の頃からのファンでこの曲がロングヒットして秋から年末にかけてイヤというほどラジオからテレビからカラオケから聴いたのである。

人数が多いわりに時代の存在感が微妙といわれる団塊ジュニア世代だけど
この近辺のCDのバカ売れ&カラオケブーム、ドラマ高視聴率は、その後のCD売上やらドラマ視聴率やらといった指標が死につつある今から俯瞰して眺めるとテレビや音楽CDが若者文化として時代を引っ張った最後の時代だったんだなーと感慨深い。
1997年にはフジロックが始まり、フェスであらゆる音楽が聴ける素地がもうあったころだと思う。

ドラマでいえば、この年は「愛しているといってくれ」。
(翌年だとロングバケーションとこのころは北川悦吏子の時代だった。)

映画ではパトリス・ルコントやアッバス・キアロスタミがもてはやされたミニシアター系の興隆があって以前のように同じ日本映画をみんながみる時代は終わりを告げ国内の映画は斜陽産業と言われながらも世界中の映画が見られるようになったのはこのころだったと思う。
Love Letter 、打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? 、東京兄妹、水の中の八月、GONIN 、幻の光、渚のシンドバッド、BeRLiN といった日本映画が公開された年であり
アジア映画ブームを引っ張った恋する惑星が話題になったのもこの年。
エドワード・ヤンの恋愛時代や君さえいれば/金枝玉葉も公開された。
フォレストガンプやショーシャンクの空にというハリウッド大作のヒットとともに
恵比須ガーデンシネマで公開されたスモークがロングランになった。恋人たちの距離が公開されたのもこの年。
オーストラリア映画のプリシラがヒット。
旧ソ連映画の動くな、死ね、甦れ!も公開。
この時は今のように年間1000本なんていう公開量ではないのと学生で時間があったのでとにかく話題になったものは全部観ましたとも!
映画好きな若者はいまと比率は同じかもしれないが、いかんせん母数が倍近いですからね・・・
バブル後とはいえ、今よりも文化に企業や世間はお金を出したし、映画や本や音楽や演劇や漫画の知識が幅広く深い人ってスゴいみたいな価値観があった。(たぶん)

スマホどころか携帯ぼちぼち持ち始めましょうかという時代。PHSだった時。
ドコモのiモード(1999年)も写メールもサービスとしては生まれていなかった分の時間を若者の何割かはこれらに使ってた筈。

将来のために目標をもって勉強するとか、目的意識をもって社会について考えるとか全然関係ないところで生きていたので
いまの若者にエラソーに何も言えない。
無目的に好きなものを見聞して生きているといくら売り手市場の今でも大変だよくらいしか言えることはない。
が、じゃあそれらが無駄でもっと有意義に過ごすべきだったかと問われると
私はあの無駄な時代は私にとっては無駄ではなく必要なものだったとしか言いようがない。
自分自身がゆとり世代を何一つ非難できないほど好きなものに逃避していた甘ちゃんでした。
後年、その当時の私をつぶさに知る小学生からの幼馴染には
あの当時の私ははた目にちょっとヤバかったといわれ、その危うさが消えて良かったと真顔で言われたときにはこちらがびっくりした。当人にはそこまで精神的に追い詰められていた自覚がなかったりするんですよね。

 

あの時聴いた曲は今も私を励まし
あの時に観た舞台を時に思い出し
あの時に観た映画が今も心を揺さぶり
あの時に読んだ本から助けれることもある。
それらのよくわからない記憶や知識が学んだことと一緒に混然一体となって
私の仕事を助けてくれる時もあれば
子供と楽しむことでまた違った側面が見えてくることもある。


私の中からあふれ出てくる記憶をガーっと鈴太郎に伝えようとアウトプットすることもあれば
その時に子供と一緒に経験することが新たな私のインプットにもなる。
子どもがダラダラゴロゴロしてイラっとしたときも、そういえば自分もこういう時に無意識にいろんなものを整理してバランスをとっていたじゃないかと思いだしたりもする。

だから人生に無駄なことは何一つないのだ。
1995年という年は私にその人生訓を与え、時に思い出させてくれる年でもある。


 

JUGEMテーマ:読書

 

 

私には音楽的素養はない。
子どものころ一年間だけ祖母の強い希望でピアノを習った。
その練習のためにどこからか中古の(なぜか)オルガンも用意されていた。
けれども、私はピアノの練習をとにかく嫌がった。
一人で部屋の入口に背を向けて音を奏でることが異様に怖かった。
誰かに見られているような気がして練習するどころではない。
そういうと、サボりたいがためにまたよくわからないことを言って・・・と怒られるのだが
私はとにかく部屋でオルガンを弾くことを拒否した。
練習しないのだから全く上達しない。上達しないままレッスンに行っても先生も困る。
そうして、私は1年でピアノ教室をやめてしまった。

今回の本は、読んでいる間中ずっとウッドベースのように、メトロノームのようにピアノを続けられなかった自分が横たわっていた。
主人公の外村は山奥で育ち、ピアノの素養がない。
調律師の板鳥に出会い、調律師を目指していく過程で常にそのことが本人に引っ掛かっている場面がでてくる。
才能や音楽的素養や音感といったものに恵まれていない自分がこの仕事を続けていくことができるのだろうか?と迷い立ち止まり自問している姿が自分自身とすっと重なるような気持ちだった。


しかし、外村は森の音を聞いて育っている。
彼の周囲ではそれは特別なことではないから、彼自身もその感覚を特別なものだと思っていない。

ものを知らない分、謙虚でこつこつと努力をする。
この森を知っている感覚と真摯に取り組み続ける外山の姿が
ゆっくりじわじわと調律師としての彼をかたどっていくさまを読者としてかいまみる

 

10年やれば、天職。

取り組み続け、常にまだまだと思いながら努力を続けられること自体が才能なのだとこの小説は静かに囁いて励ましてくれる。

向いていないかもしれない、この道は違うのかもしれないと思いながら不安になりながら

働いたり、打ち込んだりすることはそれ自体が才能の一つなんだなと改めて思う。

 

そう、才能がない場合はそもそも続けられないのだ。

文字が音に聞こえ、清々しい気持ちになって読了できる、必読の書。

映画化も6月公開。楽しみである。


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