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私には音楽的素養はない。
子どものころ一年間だけ祖母の強い希望でピアノを習った。
その練習のためにどこからか中古の(なぜか)オルガンも用意されていた。
けれども、私はピアノの練習をとにかく嫌がった。
一人で部屋の入口に背を向けて音を奏でることが異様に怖かった。
誰かに見られているような気がして練習するどころではない。
そういうと、サボりたいがためにまたよくわからないことを言って・・・と怒られるのだが
私はとにかく部屋でオルガンを弾くことを拒否した。
練習しないのだから全く上達しない。上達しないままレッスンに行っても先生も困る。
そうして、私は1年でピアノ教室をやめてしまった。

今回の本は、読んでいる間中ずっとウッドベースのように、メトロノームのようにピアノを続けられなかった自分が横たわっていた。
主人公の外村は山奥で育ち、ピアノの素養がない。
調律師の板鳥に出会い、調律師を目指していく過程で常にそのことが本人に引っ掛かっている場面がでてくる。
才能や音楽的素養や音感といったものに恵まれていない自分がこの仕事を続けていくことができるのだろうか?と迷い立ち止まり自問している姿が自分自身とすっと重なるような気持ちだった。


しかし、外村は森の音を聞いて育っている。
彼の周囲ではそれは特別なことではないから、彼自身もその感覚を特別なものだと思っていない。

ものを知らない分、謙虚でこつこつと努力をする。
この森を知っている感覚と真摯に取り組み続ける外山の姿が
ゆっくりじわじわと調律師としての彼をかたどっていくさまを読者としてかいまみる

 

10年やれば、天職。

取り組み続け、常にまだまだと思いながら努力を続けられること自体が才能なのだとこの小説は静かに囁いて励ましてくれる。

向いていないかもしれない、この道は違うのかもしれないと思いながら不安になりながら

働いたり、打ち込んだりすることはそれ自体が才能の一つなんだなと改めて思う。

 

そう、才能がない場合はそもそも続けられないのだ。

文字が音に聞こえ、清々しい気持ちになって読了できる、必読の書。

映画化も6月公開。楽しみである。

久々に自分が読んだ本の話をいくつか。

 

今回は中高、大学、学者のお話。
どれも笑いながら読みました。

学者や学究肌の人や一つのことに夢中になっているいわゆる変人系の人に弱いんです。

この三冊は鈴太郎にこんな風に育ってくれたら嬉しいなあっていう私のある意味理想の人々がいる。

 

しかしね、理想は理想なんだよなあ。

 

武蔵を読んで思うのは、
「自由」は自分自身の学びにつながる何かを自分で見つけるための「自由」であることを知っている子が行く学校。

例えば、、大学に行くための受験勉強は学校で教えてもらう必要がない
自分に必要なことが学べるなら自分で受験勉強して勝手に行きます
先生たちには自分の知らない世界を見せてほしい
っていうくらいの能力と自立心が12歳の時点である子じゃないと通ってもその教育の良さを存分に味わうことは出来ないっていうことなんですよねぇ。

 

本の中でも
東大なんて、学歴社会なんてと批判するならその中枢から批判しなければ負け犬の遠吠え
っていうフレーズが出てくる。
行ける学力があったとしても
自分がそこでやりたいことやビジョンがなければ行く意味がないと判断できる子に来てほしいっていう学校側の強烈なメッセージがある。


余談なのだけど、子育てで面白いと思っているのが、自分へのフィードバック。
私自身がこういう学校にものすごく魅力を感じるってことをつらつら考えてみた。
学校という集団でテストの点が高いやつが頭が良くて偉いという価値観が嫌いな割に
それを対等に批判できるだけの能力や自立心がなかったんだなと改めて思った事。
自分にないからこそ、いいなと思うのかもしれない。

そして、鈴太郎も10歳の現時点では少なくとも武蔵に合うタイプではない。
せめて高校入試が復活してくれたら、もうちょっと親は夢を見られたかもしれないけど。

 

 

最後の秘境 東京藝大

これも鈴太郎に美術や音楽のあふれる才能があれば
卒業生の半分の進路が不明だろうが、ぜひ行ってみて!といいたい学校です。
って行きたいで行ける学校じゃないんだけど。

 

ここに行ってた知り合い、確かになんかすごかったです。
いまどうしているんだろう。

 

作曲科に現役合格した男子だったんですけど
いま聴こえている音楽は知らないものでもそのまま弾ける
しかもアレンジして弾くっていうことができてました。
本人はもともとサッカー小僧で、幼少期から小学生まではピアノやってたけどサッカーに本腰いれたくて中高はサッカー一筋。
それが、突然高2でやっぱり音楽がやりたい!って猛烈に思ってピアノを再開。
さすがにピアノ科とかは無理なのでと作曲科を受験したら受かったという人でした。
で、カラオケは少しずつ音がずれていて不協和音に聴こえることが多くて耐えられない
でもみんなカラオケに行くなら行くよってついてきて、耳栓してカラオケ屋にいました(笑)

 

ちょうどその頃だったか、伊勢谷友介がモデルやら何やらで出てきて
そのうち役者だ監督だとやりだして
え?芸大通っててこのルックス?は?映画?俳優だとぅ!
なんだこの天が何物も与えている感じわ!!
と憤ったことを覚えているw
現在この方さらに進化しちゃって、社会活動家としての顔や起業家としての顔もあって
やる気と能力が噛み合って一度にいろんなできる人間ズルいなって今でも思いますけど(笑)

 

そう、神様は不公平なんだよなー。

 

なので、とてつもない才能をもって生まれた人たちはその才能を好きに使ってほしいし
あ、天才にはかなわない、上には上がいるって思った人も
天才を世の中に出すには天才かそうじゃないかを観る目も必要だったり
それらを発掘して世に出す仕事もあるわけだし
人に教えたりする仕事もある。
なんだかわからないけど触れてみたい人に好きになってもらうようにする仕事だってある。
美術や音楽といった芸術、アートの世界は鑑賞する人口がそれなりにいなければそもそも職業として成り立たない。
ぜひぜひ、カオスな中から自らの生きる道を見つけてほしいと願っちゃう本。


そして、最後は鳥類学者の川上和人さんの最新作。

鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。
好きなことを探求し続けることの面白さと楽しさにあふれていて、今年の春に発売されて以来話題の書。

 

ここでは、なんだか自称流されてやっているうちに学者になってたっていう人の

いろんな話がものすごい熱量で語られています。

明確なこうしたいという目標がなくても目の前のことをやり続けていると専門家になっているなんてこともあるかもしれない。

継続は力なり。

別に好きじゃないと思っていても、10年続けられたらいっぱしの専門家というフレーズをまさに体現している筆者。

中には10年やったけど仕事にならない!とキレる方もいるかもしれません。

10年やってそれで金が稼げるなら天職。

そうじゃないなら、今やっている仕事が10年以上のキャリアなら天職。

そういうことなんじゃないかと、鳥類から大きく外れた感想を展開していますが思うのであります。

 

私は子供のころからめちゃくちゃ鳥好きです。

今も毎朝家の近所を飛び回り囀りまくっている鳥たちを洗濯物干しながら眺めて一日が始まる。

子供のころにはセキセイインコ、オカメインコと飼っていました。

けど、獣毛アレルギーだわ

手先が不器用だわ

数学が壊滅的だわ

獣医も生物学者に関連するような学校にも検討した時点で

無理だよねーってあきらめました。

小学生の頃は鷹匠になりたかったんですけどね。

 

けれども、全然やろうと思っていなかった現在の仕事や占いではあれよあれよという間に転職できたり

仕事の依頼が舞い込んでくるようになり続けている。

なので、自分がいられる場所で思いっきりこの川上センセーのように弾けてみようではないか。

 

鈴太郎が親の背中をみて、何かを感じ取ってくれたらいいんだけど、無理だろうなw

 

でも、私がゲラゲラ笑いながら読んでいるので、ちょこちょこ手に取って読んでいる。シメシメ。ウフフ。

 

思わず伊藤君AtoZと言って26人の女性と伊藤君のモテ話ってまとめそうになりますが
AからEまでの五人の女性と伊藤君を巡る話です。
伊藤君はモテているときもあるけれど、モテていない伊藤君も描かれている。

 

この伊藤君を岡田将生で映画化するようですが、とりあえずビジュアルイメージですでにはまり役。
私の頭の中で喋る伊藤君がもう岡田君で動いているので作品の出来によって、ものすごいはまり役を彼は手に入れることになるんじゃないかという気がしている。

嫌なヤツを演じてチャーミングにみえそうなので。

 

が、本の中の伊藤君はチャーミングとは言い難い。
でてくるAからEの女性でも私の中で、この女性とは友達になりたいと思えたのがAの女性だけだったので
本の中のキャラクターのまま映像化すると、映像になっている分キャラがギスギスとして
誰にも共感も同情もできないという嫌悪感だけがムクムクと湧き上がるものになりそうな気もする。

 

ダブル主演が木村文乃ということだけど、私は最初このAの女性が木村さんだと思ってました。
Eの女性なのねぇ。Eはですね、私の中では安藤サクラでした。
でもこれだと、「ゆとりですがなにか」になっちゃうか。

なので、なんらかのキャラ設定を変えているんだろうなと思っているんだけど
小説のエピソードを先にドラマ化してやっているらしいので確認してみよう・・・。

 

映像化に絡めた話を延々してしまったけど
柚木麻子さんの作品はどれも登場人物たちの動きが滑らかだ。

現実にじたばたもがきながら、表面上はひょうひょうとどこかで暮らしている人たちがたくさん出てくる。
むしろ、本屋さんのダイアナの設定や登場人物たちが異色だったのかなと思えるほど
都会に住む虚栄心と現実との折り合いに苦労している人物を描かせると巧いなあと唸ってしまう。

 

さて、伊藤君ですが。
こういう人物、文学系の学部を卒業した男子に一定数いるというかいた。
映画とかファッションやアートやインテリアに詳しくてうるさくて趣味のいい男。
口をついてくるのは批評という名の批判が8割で、自分の趣味の良さを自覚し
流行りものに飛びつく人たちを見下している。
批判の舌鋒は鋭いけれど、自分を否定されることは絶対に認められない。

 

おまけに伊藤君はビジュアルがいい。
ちょっと女性っぽいきれいさをもった男子で、マッキントッシュのコートを端正に着こなすことのできる容姿と実家の財力に恵まれている。

が、定職には就いていない。
物書きになりたいという漠然とした夢はあるが、だから何かを懸命に書いているわけではなく
しょっちゅうセミナーやら人脈やらを自慢することで自分を保っている。
伊藤君を大好きな女子たちにもその辺は見破られているけれど、嫌われたくないばかりに指摘できない。

 

読みたびに「うわぁ・・・」と言いたくなるセリフや行動のオンパレード。

私は岡田将生のようなビジュアル男子がいたらきゃあきゃあいうタイプだが
その中身が上記のような男子は最も苦手。


性格が伊藤君よりも多少良い人でも
「映画とかファッションやアートやインテリアに詳しくてうるさくて趣味のいい男」

というのがあまり好きではない。
友達や知り合いとしてなら全然構わないが、恋愛対象や身内では極力避けたい。

趣味がいいかはおいといて、

自分の好みにうるさい男の面倒くささを身内でイヤというほど知っていてげんなりしたところに
大学で知り合いになった男子にこだわりの強い男子が多くて辟易したから。

 

そもそも趣味のいい繊細男子は私のような外見からキツめで本やら映画やらが半端に好きな女子は好きではないので必要以上には寄ってこない。
代わりに私の友人に異様に食いついてきていたので、私は邪魔者としてどちらかというと敵対していたことのほうが多かったかもしれない(笑)

 

その時の気持ちを引っ張り出されるようで嫌な本でした。(誉め言葉です。)

 

ちなみに、そういう男性を避けて友達曰く

「いまどきのこどものツグムくんみたい」と評された家人と結婚し肩の荷を下ろしていたら
(注:ツグムくん=無口でおとなしいが、熱いメタル魂を秘めている男子。)

生まれた息子がちょっと感受性が強くて妙にこだわりの強いタイプ
ゲゲっと思いながらも、自分が面白いと思う映画や本や美術展などに連れまわしており
伊藤君のように育ったらどうしようとちょっと怯えている。

(しかも、顔は地蔵フェイスw)

あ、でもファッションにはいまのところ1ミリも興味なさそうなので
(色へのこだわりと、いかに楽に脱ぎ着できるかしか考えていない)
それはそれで微妙な気もするんだけど。

 

ほどほどという言葉が好きな今日この頃。


 

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最近の鈴太郎のヒットを3冊抽出。

 

おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典
翻訳できない世界のことば
レンタルロボット

 

本当はもう一冊あげたいんだけど、一度にリンクできるのが三冊までなので
本の題名のみ。


理科の目で見るしぜんのふしぎ

 

生物(後者は植物や自然現象なども含む)に関するコラムをまとめたものです。
ちょっとした疑問を解決したり豆知識を増やせるクイズ本みたいな感じ。
私は昔から、ただひたすら覚える、暗記するということが大の苦手で
くだらないエピソード付きだと覚えられるので、子どもの頃からこういうコラムやエッセイ系の読み物は大好きでした。
コラムだと一つのまとまりも短いので子どもも読みやすいかな、と棚においてみたら
どっちも2日くらいで読破し、こっちにクイズ形式でバンバン出題されるのである意味参りました(笑)

 

でもどちらもオススメです。

 

翻訳できない世界のことば
これは大人にウケているようですが、小学生にはクイズの題材にもってこいなのでこれまたクイズでガンガン出されました・・・
日本語特有の表現などもでていてみているだけで面白いです。

 

レンタルロボット

一人っ子の小学四年男子が弟がほしいとロボットに弟になってもらう話です。
状況的にドンピシャな鈴太郎には読みやすかった模様。
なかなかに泣ける展開になってます。

 

自分で借りてくる本は恐がりなくせに相変わらず
怪奇なんちゃらとか妖怪うんたらとか百物語とかライトホラー系ばかりです。
私も江戸川乱歩のおどろおどろしい事件概要のページとか好きだったので気持ちはわからなくはないが、後でトイレに行けなくなるのも同じっていうのは勘弁して貰いたい。

だったのですが、鈴太郎の学校では読書感想文がない。

 

私自身が夏休みの宿題で最も好きでかつ得意だったのが読書感想文で

最も苦手だったのが自由研究でした。

 

読書感想文はほぼ小学生からどんな本の感想を書いてきたのか覚えています。

さっき検索してみたら絶版の本が多いんですが。

 

1年・きりかぶのあかちゃん

2年・先生しごいたる

3年・松葉杖をつく少女

4年・題名を失念。学童クラブに行く子どもたちの話

5年・ガラスのうさぎ

6年・うしろの正面だあれ

 

基本的には、小学生の読書感想文向きの本となると何かの教訓を得るっていう展開や感想のもの。

ラインナップ的にすごく作為的なものを感じますね(笑)

 

小学校高学年で好んで読んでいたのは、図書館にあったと怪人二十面相シリーズから江戸川乱歩

漫画経由で赤川次郎、友達の影響だったか、先生の影響だったかで芥川龍之介にハマってましたが

なぜかその辺では書かなかったなあ。

夏目漱石ー芥川龍之介系譜の作家は未だにずっと好き。文体が好みの人が多い。

内田百里箸今も激ラブでございます。

 

 

自由研究は、とにかく何をやるものなのかよくわかっていなかった。

私の時代にもこういう本はあったのかもしれないが、当時私が読みたかった!

というわけで自由研究図鑑は美術館の物販で見つけたときに買ったもの。

これ、大人が読んでも面白いです。おすすめ。

 

読書感想文としては昔も現在もコンクール用の課題図書が書店に大きく出ています。

 

今の学校が全般的になのかわかりませんが、ちょっと前の甥っ子姪っ子の時も思ったんですが

夏休みの宿題少ないなーと。

でも、学校の個人面談に行ったとき、今年は他校からきたばかりの

ベテラン教師なんですが

「夏休みの宿題はこれだけあるんですよ、お母さん!」

と、多いけど親御さんのサポートよろしく的な話をされたので自分たちの時代が多かっただけなのか?

 

感想文や作文、絵やポスターみたいなのが必須じゃないから少なく感じるだけ?

でもドリルも数日で終わるレベルで自分がやったものよりも分量が少ないような??

 

まあでも、私なんぞは最後にやっつけでやっていたタイプだから意味がなかった気もするけど(笑)

 

課題図書に話を戻して、その中から気になっている二冊。

二日月は中学年用課題図書。

ワンダーは高学年用の課題図書です。

 

ワンダーは出版されてから随分話題になっており

ずーっと、大人の私が読もうかなどうしようかなと逡巡している作品。

 

せっかくだから購入して親子で読んでみようかなと思っているところ。

 

二日月は課題図書をざーっと冒頭ナナメ読みで一番子どもが読みやすそうかなと思ったから。

 

本人のヒットは、世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ

 

ネットニュースにもなりましたが、それの絵本版です。

まだ鈴太郎に選ばせると、絵本っぽいものが多いなー。

読むだけマシかと黙っているけど。

 

私が読書してると、何読んでいるのか気になって後でパラパラめくってますが

「漢字が多すぎてわからないから音読してくれ」

っていうから(笑)

本読むタイプはとりあえず読めない漢字は文脈から類推して読むのだよ。

といったら、スネましたw

 

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柚木麻子さんは、アッコちゃんシリーズから。
ランチのアッコちゃんがなかなかの面白さでこの本屋さんのダイアナも直木賞候補や本屋大賞の候補になっていて
読みたい読みたいと思っていたところ、ちょうど文庫になったため購入。

 

いい話でした。


読書好きでも対照的な家庭に育つ2人の少女をヒロインにした成長物語。
女の子同士の友情の築き方と、お互いへの憧れや嫉妬を児童文学や現代文学の傑作、名作がちょいちょい顔をのぞかせて絡めながら書いている。

2人が自分自身の足で立つ、自立の瞬間までを描いている。

 

親戚のおばちゃんみたいな気持ちで2人の少女の成長を見守りました。
2人の女の子を強く結びつけるのが一冊の本であるっていう設定がいい。

 

そうそう、女子はですね、ありあまるほど喋りますが
自分の身の回り(学校、家族)のことだけを話す間柄だと仲は長続きしないんです。

なぜなら、環境が変わりやすいから。

就職した、結婚した、子どもが産まれた、夫の勤め先がどうした、親がどうした、子どもが進学した、自分の仕事はこうだ、介護がどーの・・・自分の家族や身の回りの話ばかりしていると、お互いの感覚がズレていくのをひしひしと感じるでしょう。


当たり前です。


前提が違うのだから。
じゃあ、似た境遇ならいいのかというとそれも微妙。
例えば、同い年の子どもがいたとして一方は子育てにもの凄く悩んでいたら?
同じ既婚者といえど、自身の仕事の有無、夫の職業や収入も違えば、経済状況も違うわけで。

男性もそうだと思うんですが
自分の身の回りの環境のことばかり話していると、その環境が変わったときに話題がなくなるわけです。


だから、変わらないことを話題にする方が友達は増えるし、長く仲良くできるわけ。

 

この本の主人公であるダイアナと彩子、2人の話題の中心は本。
成長期にはそれぞれの成長のスピードもあって一方が面白いといっているものが他方にはまったくわからないなんていうエピソードもあって
そうそう!そうなんだよね!
っていうあるあるが。

 

本や映画の趣味や好みって成長期に作られていくので、その時にその子が何に出会って何に影響されたかによって変わってくる。
お互いに仲良しでずっと同じものを薦め合うのもアリだけど、多分そういうのは高校生くらいにならないとわからない。
小学生だと成長の個人差が大きすぎて、将来にわたって同じものを同じように楽しめる人なのかはまだわからないのだ。

知ったようにいうのは、私自身が小学校から知っているけど今も本や映画といった話をする子といつ頃よく話すようになったかを振り返ると小学校よりは中学以降だからです。
小学校からの友達何人かと今も交流がありますが、その中で小学生の時に放課後頻繁に遊んだりしていたのは1,2人です。
あとは、中学、高校、大学のどこかでじっくり話したり遊んだりする機会があったから今も交流がある。


その話題の中心は常に恋愛や結婚や子どもの話ではない。
(そりゃ話題にでるにはでるけど、あくまで近況を話すレベル)

 

今読んでいる面白い本や映画の話だったり、興味を持っていることだったり好きな物だったり
手がけている仕事の苦労やら、美味しかった食べ物、行って良かった旅先の話だったりする。

その友達が好きなのであって、旦那さんやお子さんは彼女を知っているからこそ
話を聞いて親しみもわくし、お子さんをみて「わあ、彼女にそっくりな仕草だ、可愛いなあ。」って思うのです。

 

私は死ぬまで、友達と
これ、面白かったよ
それ、面白そうだね
っていって笑いあいたい。

 

だから、ダイアナと彩子にエールを送りたい。

よく、小説で読む女の友情というと、この環境の変化による本人の変化とともに友情も薄れていくとか
お互いの環境への嫉妬に重点をおいた作品を読んだ記憶の方が強いのだけど
児童文学の延長にある大人になった彼女たちの友情というのも確かにあるんだよと声を大にして言いたい。

 

そして、「自分のことは自分でしか救えない」これをちゃんとそれぞれ実行して
現実を乗り越えて精神的に自立を果たした2人に心からの拍手を。

読書の楽しさをとうに知っている子は、どんどん何でも読んでいきますが
そうじゃない子はどうするのか?

年代に合った本が色々ある。
でも、買っておくだけだとページを開きもしなかったりします。

では、どうするか?
鈴太郎の場合、私がこれはそろそろ読ませたいなと思った本は
冒頭の第一章に当たる部分だけでもまだ読み聞かせしてます。


このあとどうなるの?というヒキがきたところで読み聞かせを終える。


そして、毎日寝る前の30分間はTVもゲームもなしで本を読む時間にしてみる。
勿論、親もその時は読書タイム。
すると、続きが気になった本を手にとったりします。

 

ただし、全部読み聞かせてはダメ。

全部親が読むことをずっと続けると、読書好きではない子どもは面倒がって自分では読みません。

また、親がもの凄く読み聞かせが上手いというのも、同じ危険があるので

読むのにそんなに工夫をしなくてもよいと思います。

 

興味をもったら、自分で読ませる。

何十頁か活字を追うことが苦でなくなれば本を読むのが好きになる。

一部の人をはぶき「読む」にも訓練がいるのですが、読書しない人はこの何十頁かをじっと読むという訓練が根付いてない。

 

小学校に保護者が読み聞かせにいくというイベントがあり、低学年や中学年だと

だいたいもの凄く食い付きがいいし、古代から人は口承文学などで物語ってきたわけで。

物語が嫌いって子どもは少ないと思うのです。

その好きをちょっと手伝ってあげると、もっと読書好きは増えるのではないかと思っている。

もう一つちょっとイレギュラーですが、
映像が好き、抵抗が無い子の場合は映画。
先に映像をみてから活字の世界へと誘導してみる。
私も読書ができて映画やドラマも観られて一石三鳥。

(ただ、映像を見過ぎるとあとから活字を追う訓練をしても難しかったりするので加減が重要かも)

 

もう少し横道だと漫画でも良いんですけどね。漫画から本にいくっていうルートもある。

というわけで小学4年生くらいからのオススメ本。

2分間の冒険
霧の向こうのふしぎな町
守人シリーズ(精霊の守人)


2分間〜は有名ですが私も読んだことがなかったので
かなりの部分を読み聞かせで一緒に読みつつ後半はそれぞれで読書。

霧の向こうの〜は、私自身が小四、小五くらいの時に読んで面白く繰り返し読んだものです。
なぜか、実家からずっと持ち歩いていて今の家にも持ってきているのでそれを鈴太郎にあげました。

精霊の守人はNHKのドラマを観終わった段階で、図書館で借りてきました。
これと同じ方法は最近ではパディントンでも使ったかな。


どれも、大人が読んでも面白く、読んで損はありません。
既に長く語り継がれる名作です。

絵本から、小説への橋渡しとしての児童文学ってすっ飛ばしてしまう人が読書家さんにも多いんですよね。
読書家の方は児童文学を飛び越えてフツーに大人と同じ小説読み始めますしねぇ。

物語へのくいつきがイマイチというお子さんの場合は図鑑→評論系かなあ。
偉人の小学生向け伝記物とか、シートン動物記とか。

とここまで書きましたが、実は読み聞かせをしてもらって育ったハズの我が弟は殆ど本を読みません(笑)

ちなみに、母自身今でも読書すると眠くなるらしく、やはり本を読んでいるのを見たことが殆どない。

なので、勿論持って生まれたものもあるんでしょう。

 

でも、弟は割と繊細で神経質なタイプで、親は育てるのに苦労したようですが

親子の絆を育てるのに役立ったのではないかなあと。
 

というわけで、読書の楽しさを伝えるのに冒頭を読み聞かせるのはオススメ。

鈴太郎はたいして読書が好きではないのだが
だからこそ、親も読んで楽しい本や、図書館ではなかなか借りられそうにない本を探している。

最近面白かったものをいくつかピックアップ。

マップス。
ポーランドのご夫妻が調べて見開き一ページ一か国で描いた本。
かなり大型です。
日本のページもあってそこを読むと的を得ているところとトンデモが半々くらいのいい塩梅。
きっとほかの国もそうなんだろうなーと思いながら細かいところまでじっくり眺めているだけで楽しい本。
行った事のある国を足掛かりに、この国面白そう、この国にはこんなものが!と楽しんでます。

いわしくん
これ、泳げたいやきくんのいわし版。
生まれ、育って、取られ、食べられ、栄養になるって話。
食べられるイワシ目線の本。
日本以外の国の子に読んだらどう思うんだろう?
これは小学校での読み聞かせなんてかなり向いています。

パディントン
もうすぐ実写映画が本場イギリスからやってくる!
っていうわけで原作を。
といっても、私自身読んだことがなかった。
これ、大人が読んでも楽しいです。
子どもの頃読まなかったのを悔やまれる。

私自身が、本を読むようになったのが中学くらいからで小学生向けの児童書をあまり読まなかったので
今になって読んでいるものが結構ある。
エルマーとりゅうのシリーズもそうだし
世界名作劇場もアニメは知っているけど原作は知らないなんてものが結構ある。
今からでも読めるし、面白いのだが
本はそのときの年齢で読むべきものがあるんだなーと思う。
なんていうか、印象や感じ方が違うのです。

なので、大人になって
これ、読んだ気がするけどなんだっけ?
というとっかかりでもいいから、なにか1冊でも突き刺さって残ればいいなと思うんだけど
こればかりはわからない。

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 三浦しをん小説の面白さに間違いはない。
5/10から映画公開(WOOD JOB!)ということで、文庫が出ていたので購入し読みました。
映画キャストで、主人公の平野勇気が染谷将太、先輩のヨキが伊藤英明であるという設定が最初から組み込まれた状態で、多分直紀役が長澤まさみであろうという推測の元、この3人が脳内でリアルに動きながら読んでました。
 
いやー、いまから伊藤氏のヨキ役が想像がついちゃって楽しい。
映画の予告からするに、原作よりさらに暑苦しく、無駄にワイルドな山の男なんだろうなーってニヤニヤしながら読んだ。
出てくる村人もみなキャラが立っててイキイキしている。
山の空気、匂い、気温、湿度、四季の美しさも恐ろしさも目の前にみえるようです。

といっても、ワタクシ、マテリアルガールだった人でして、まあ長年住んでいたところは最寄り駅まで徒歩50分だし
コンビニ一つないところでしたが、新興住宅地だったので、人はたくさんいましたw
映画や舞台や本や漫画を愛するギークな人間ですから、ほしい本がすぐ買えないとかなると発狂しちゃうんじゃないか?
っていうくらいには、ひ弱な物質文明人なわけでして。
かつ、その長年住んでいた千葉県は、日本の47都道府県の中で唯一500m以上の山がない県なのです。
だから、近隣の山というと筑波山(by茨城県)まで出かけて行かなければならなかったり。
山をみてこの樹はどうしたとか
山菜が見分けられるとか、キノコと毒キノコの違いがわかるとかそういったことは何もありません。
せいぜい虫が多少平気なくらい。
いまだに山々をみると旅行に来た!と思う位山そのものには実はそんなに縁がない。

にもかかわらず!
主人公の勇気と同じで、山の新鮮な空気を嗅ぐ(本を通してだけど)と
そうそう、これこれって思うし
山の神事やしきたりを大事に
山に入らせてもらっているという意識で林業を行っている神去村の人々の自然や周囲とうまく共存している姿に
わかるー(なにが?)と膝をうっちゃうわけです。
勇気のように携帯の電波も通じないなんてありえねー!って叫びながらも
いざ住むと、楽しく生活できちゃう・・・気もするんだが、甘いか?(笑)

この本の中で、知ってる!この話!って思ったのがヒルが体に吸い付いた時の取り方。
火で炙って落とすってものです。
これはですね、里山レベルでもヒルはいるので小学校の時に理科の時間を使って裏山に山菜をとりに行ったときに
先生が教えてくれた。
ヒルに吸い付かれたら無理やり引きはがすな、吸い口が残って厄介なことになるから。
先生がライターで炙ってとってやるから言えよ、と。
んで、社会人になってからも林業、土木系の仕事をしている高校時代の友人も全く同じことを言ってた。
吸われるのに気付きにくいから、入り込まれないように袖口にはガムテープを巻いたりするんだよ〜っていうのもこの高校時代の友人から聞いておりましたとも(笑)

そして、山の信仰の対象として本の中で語られる神様のオオヤマヅミ様。
これは、オオヤマツミのことだよね。
んで、二人の娘っていうのはコノハナサクヤビメとイワナガヒメがモデルかな。

この自然と一体となった神様が村人や主人公たちの日々の生活に見え隠れする描写のさじ加減が絶妙で好き。
日本の古き良きところってこういうところかな。
もちろん、負の面をみせるところもあって、それは勇気にとっても「余所者扱い」という形ではっきり出てくるんだけど
どうしてそうやって閉鎖的かっていうのもさりげなく描いている。
それでも、この本で語られる神去村は、林業での希少な成功例として描かれているし
主人公の勇気はなんだかんだいって、村に林業に溶け込んで村にとっても貴重な人材だしとまあ、ある意味奇跡が折り重なったファンタジー設定でもあるんだけど、こんな風に新旧が溶け込んで、昔からある良い面を殺さず伸ばしていけたら、日本もまだまだ捨てたもんじゃないよねって思える。

八百万の神を自然と結び付けて敬う意識があるって、結構大きな民族的なアイデンティティかと。
自分の周囲の自然を恐れ、恵みに感謝し、その土地やものを借りる意識で大切にしていく。
神社やお寺へのお参りなんかも、この系譜。
アニミズム的なものが失われているようで、まだ息づいている。
不思議の国ニッポンがここにあるってことをこの本は思い出させてくれます。

映画も面白そうだから早く見てみたい。

 


原題:Sushi and Beyond: What the Japanese Know About Cooking

海外へ行ったり、海外に居る人の話を聞く度に思うのが日本の食事や味覚のことだ。

どの国の人も味覚に鋭い人と鈍い人がいるけれども、美味しいと思うものは一緒ではないかと昔は思っていたのだが、味覚は作られるモノで、磨かれるものだと悟ったのは大学生の時のバイト先だった。
外国人のエアラインクルーが主な客である定食屋でバイトしていたとき、私や他のバイトの子にはそのままで充分濃厚な味のものに、アメリカだろうがフランスだろうが、ブラジルだろうが、かなりの確率で醤油を足して食べていたこと、特に白米はサラダだからといってドレッシングのように醤油をかけている姿は衝撃的だった。
好む食材にはある程度お国柄があるのに、醤油ドレッシング化は国籍関係なくかなりの国の人がやっていた。ただ、アジア圏の人はそういうことはしない人が多かった。(豆板醤を鬼のように掛ける人たちはいたけど)
単にお米を食べ慣れているからと思っていたのだが、これは口の中で味を混ぜ合わせる「口中調味」というのだそうで、日本やアジアの一部の国々の人しかできないんだとか。
そういわれてコドモをみていると、確かに彼らはおかずとご飯を一緒に食べない。
白いご飯をそのままにおかずを食べ、あとで白いご飯を何で食べるのか?と聞いてきたりする。
親は、おかずに味がついててしょっぱいのだからおかずを食べながらご飯を食べるんだよって教えたりする。
つまり、これ教えて訓練しないとできないってことなんですよね。だから日本人でもこれを練習しなかった人は出来ないはずだと聞いて「そうなんだー」とびっくりした。
ご飯に醤油をかける理由もこれだったのかと合点がいった。

そして、この「英国一家、日本を食べる」である。
3ヶ月間も日本にいて、筆者が著名なフードジャーナリストだそうで日本にも色々なコネがある人であり、相応の知識もある人なので料理はなかなかにディープで普通の日本人でも食べられないようなものを沢山食べたり、料理人にインタビューしている。
この本の面白いところは、家族も一緒に色々と日本の食事をするところ。
子供の反応がちょくちょく出てくるのだが、それが興味深い。
そして、インタビューの言葉がそこにオーバーラッップしてくる。

来日当時、4、6歳の二人の子供は、イギリスでなかなか野菜を食べずに親をてこずらせている最中。日本での食事をどれだけ受け入れてくれるかと心配しているところへ、いきなり気に入ったのが、軟骨の焼き鳥。
鈴太郎はまだ食べない。
あー、もう味覚の傾向が違うんだなーって面白い。

と、同時に。
テリヤキのパワーおそるべし(笑)
こどもたちは焼き鳥の甘辛いタレに夢中。

バイト先も看板メニューはテリヤキチキンソテーでしたが、どの国の人にもまんべんなく食べられていました。
(アフリカや中東の人があまりいなかったので、その辺は不明だけど)
砂糖、醤油にガーリックが主成分というアレンジ照り焼き料理でしたが、強火のガスでざっと炒め煮するチキンは私もやみつきでした。

一方で先程の口中調味に関わるのではないかと思われるお好み焼きのくだりもびっくりした。
筆者はお好み焼きも大好きで大阪でプレジデント千房で至福の時といった感じで味わっているのに、こどもたちは
「いろんな味が口の中でしてイヤだ」
と一口で終了してしまうのだ。

いろんな味が一度にするのがダメなんだー!!と私はものすごくビックリした。
その複雑さがいいんじゃないかと全く逆のことを思っているから。

たこ焼きもたこなんて食べられない!と食べる前に勘付いて拒否したとか。
オクトパスはアクマの生き物って言われているらしいからね〜。
ちなみに、鈴太郎もたこやきは好きですが、たこが食べられない。
たこやきのたこ抜きでという無茶をいいます(笑)

なにげにB級グルメといわれるものの中にも
舌が発達しないといろんな味がして気持ち悪いとか旨味を感じられないんですね。
食材が豊かな国に生まれ住んでいるというだけでも、味覚を鍛えるには凄く有利なんだなーと思います。
(かえすがえすもせめてあんな放射能物質をばらまくような事故がなければと悔やまれてならない。私は山菜もきのこももっと食べたいのだ!)

それを裏付けるように、筆者がインタビューした辻料理専門学校の辻氏との会話が興味深いのです。
学校の経営者である辻氏は中学から大学までイギリスに留学し流ちょうなイギリス英語を操る人らしい。
中高は寄宿学校でそこの食事が貧しくて辛かったと言うようなことをいうと
筆者が、よく料理の世界にきましたねというようなことを問う。
辻氏は、正直舌の感覚が戻るまでに帰ってきてから10年かかりましたと返答する。
料理人としての道は諦めざるを得なかったというような事も言っています。

世界に知られる料理人の息子として10歳弱まで日本で育ってもそんなに退化しちゃうのかーとこれまたびっくり。
何かで、味蕾細胞は歯の生え替わる時期5,6歳〜12歳くらいにかけてピークで旨味を含む五味はこの時期に感覚が養われると読んだのですが、その後の10年で戻っちゃうなんてかくも繊細な感覚なんですねぇ。
それでも、このノンフィクションもそうですが、世界中で世界中の料理が食べられる地域が増えることで、それぞれの味覚が豊かになっているのもまた事実なようで
5つめの味覚である「旨味」が世界的にも認められたことで味がわかる人が増え、今の日本料理の世界的な流行にも繋がっているのだそうです。

旨味は長くアジア圏にしかない味覚で欧米では認知されていなかったのだとか。
5つの味覚ではなく4つだったそう。
東洋は5ってなにげに重要ですよね。五行思想があるし。
そうじゃなくても五感があるから第六感という言葉もあるわけで。

話が逸れましたが
うちの鈴太郎もいってみれば醤油と出汁がないと生きていけないアミノ酸中毒ってヤツです。
これがね、顆粒出汁だとやっぱり威力半減みたいで、ダメなんですよねぇ。
なぜ人工物がダメかっていうと、やっぱり天然のバランスっていうのがヒトに必要なバランスと絡み合っているんじゃないかと思うんです。
それがわかる感受性をヒトはちゃんともって産まれてきているのではないかと。
(大人になるほど耐性やらいろんな経験やらで鈍くというか許容範囲も拡がるのかなーなんて)

また、その土地で生きるために必要な味覚を持って生まれてきているともいえる。
そして、住む土地がかわると必要な栄養の採り方も変わっていくものなのかなあ、と。

鈴太郎をイギリスの寄宿学校なんてやったら餓死するんじゃないかと思っていたのですが(笑)
案外そうなったら、もの凄く雑な味覚になるだけかもしれない。
あれほど出汁よこせといったアンタはどこへ?!みたいな。

だから、世界どこへいっても同じものが流通し、同じモノが食べられるっていうのは私は反対です。
空輸したり、船で運ぶだけで味変わっちゃったりするもの沢山ありますし。その土地の空気や温度だからこそ、新鮮だからこそ美味しいってもののほうが多いはず。

食べ物に限らずそこでしか通用しないものすべてを世界共通化、フラットにする必要はないと思う。
それによって不便だろうがガラパゴスだろうが、多様性こそが何かの時に人を救う道になると思うし。

実際に行かなきゃわからない、味わえないものがあるからこそ人は旅に出て、冒険するのです。

原書からいくつかエピソードが削られているという話ですが、日本語版でも充分面白いです。
どうも削られたエピもかなり面白いようなので、頑張って原書も読んでみようかな。
翻訳は時々訳のタイプで読めなくなることがあるのですが、これはとても巧い訳を当てられているのではないかと思います。
オススメです。


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