日本のお母さん働きすぎ問題

  • 2023.11.09 Thursday
  • 20:03

JUGEMテーマ:日記・一般

 

 

とにかく和食大好き、みたことないものは警戒して食べない
レトルトも1口食べると勘づいてNGだっためんどくさい息子。

料理もある程度教えたし、カップ麺も菓子パンも食べるようになり
私がいなくても何か買って食べる、簡単なものは作るってことができるようになったのでまあ、いいかと思っていました。

今年オーストラリアに二度短期留学をしたらさらに進化を遂げてくれました。

初回は日本食が食べられない毎日なんて耐えられるかなという感じだったので、乾麺のうどんや出汁、みそ汁とか醤油とかたくさん持たせました。
ホストファミリーがOKだったらうどんは作ってふるまいたいということで、

材料持って行ってOKといわれたので作ったんだそうです。
が、

ホストファミリーのところのお子さん3名は

醤油が苦手、出汁のにおいがダメ、海藻?まず過ぎて食べられない!とうどん拒否。
肉とバナナ、お菓子しか食べないとか

じぶんの味覚がオーストラリアではゲテモノ食いレベルという事実に衝撃を受けて帰国しました(笑)

なので、二度目は日本食を一切持って行かず。
正解だったようで、今度の家は子供たちが米が苦手だとかで
日本人が来たからとわざわざホストマザーが作ってくれた

カレーライス(美味しかったそう)ほとんど食べずに残して
チョコバーたべて終了していたとか。

最初の家もカフェ経営者のお宅でお父さんがヨーロッパからの移民だったのもあり、
両親ともに料理が美味しくあれこれ作ってくれた家だったそうだけど
子供たちはびっくりするくらい偏食で、平気であれもこれも嫌だと残していたと。

同じようにホームステイしていた子たちのホームステイ先の話
学校でのランチタイムなどで鈴太郎が悟ったのは
そんなに食事に重きを置いていないオーストラリア人の姿でした。

夜の家族だんらんに重きをおいていて夕方5時過ぎには全員で食事をとるけど
食事時間は10分、あと1時間50分くらいがおしゃべりするだんらんの時間でそっちのほうが超重要。

朝と昼は火を使う料理をほとんどしない。
特に朝は各自が食べたいものをだして食べる。
とりあえず、皿にシリアルをだしそれを食べて学校へいくがデフォルト。
じぶんで料理する子はスムージー作ったり、パン焼くくらい。
親が作ろうか?ってときも
両親の家事分担がかなりきっちりあって、父親が作ってくれる家も多い。
両親のうちどちらかは朝は子供たちが学校へ行く時間まだ寝ていることが多いそう。
起きている親の方も子供の送迎のために起きてくるので、食事やらなにやらのためではない。

 

鈴太郎曰く


俺は毎日シリアルだとしびれるし
パンが続くと肌が荒れることもわかったので
今の家みたいにごはん、みそ汁、何かの総菜って朝食がいいけど
急いでいる日は、自分で牛乳飲んでバナナ食べていく。
オーストラリアでみた家庭では子どものために親が早起きして弁当作るとか想像できないそう。

お母さんが料理好きな人でかつ日本人でよかったと思ったw

 

 

って言われました。

 

オーストラリアの人たちはあんなとんでもない食生活でもみんな大きくなってるしフレンドリーで楽しそう。
日本のお母さん達は家事を背負いすぎだし、働いている人たちは残業しすぎな人が多すぎる。
かといって、あのオーストラリアの食生活は嫌なんだけど。
オーストラリアの働き方と家族だんらんで、日本の食生活なら最高なんだけどなー。
っていうので、

選択肢が広がるように頑張ってね。
そうやっていろんな価値観を吸収して自分なりに思うことがあるなら行かせた甲斐があったよと言いました。


そういえば、この前みたフランス映画で
離婚した両親のもとを行ったり来たりしている高校生の息子が
外出する父親に
「今日はカレー作っておくから明日にでも食べてね。」
と言っていて、父親が
「大変じゃないか?」
って聞いたら
「冷凍食品を温めるのに飽きた」
っていうセリフがあって、へ〜離婚家庭で息子がこんな風に家事を担ってくれるなんていいな〜と思ってみてたら
息子の進学先が料理学校で将来の夢がシェフでしたっていうオチだったw

 

美食の国(?)でもこれです。
日々料理を三食手作りするってかなり贅沢な行為なんだな〜なんて思ったり。

 

この写真はホストファミリーで飼われていたヒマラヤン。

送られてきた写真がこういうのしかなくオーストラリアっぽいものはほぼないw

彼は猫を飼いたいので猫がいる家庭を希望したんだけど

オーストラリアは犬猫を飼っている率が高いらしくだいたいどのホストにもいますと事前に言われました。

その通りだった模様。

 

そうそう、自分は料理は好きだけどほかの家事は基本全部嫌いなので
どうやって家事を合理化するのかめっちゃ考えてます。
家事なんて無限にあるってよく言いますが、なるべく有限にしたいw

料理も作り始めから終わりまでの時間と工程を全部頭の中でスケジュール作って

無駄がないように動いて終わらせることに命かけてますw
同時進行でいくつかのことをこなしてそれが形になって

思った時間通りに思ったものが出来上がるのがストレス発散になってます。
認知症になると料理ができなくなるのは

複数のことを同時に考えながらこなしていく脳の機能が働かなくなることなんだなぁと。
料理ができなくなってきたら、自身が認知症になったんだなと気付くかな。
それとも意固地に、認めないかしら。

 

 

Q:A Night at the Kabuki | NODA・MAP 第25回公演 匿名の恐ろしさ

  • 2022.09.21 Wednesday
  • 19:18

JUGEMテーマ:エンターテイメント

 

 

 

2019年の舞台の再演。2019年はどうしてもチケットが取れず。

今回はコロナ禍で開催されるかという違うドキドキもある状態でしたが、チケットがとれて無事公演も観ることができました。

 

ロミオとジュリエットの話が12世紀の源平合戦での

「平の瑯壬生(ろうみお)」(志尊淳)と「源の愁里愛(じゅりえ)」(広瀬すず)の話に。

5日間の恋の物語でろうみおもじゅりえも実は死んでいなかったら?

 

30年後の「それからの瑯壬生」(上川隆也)と「それからの愁里愛」(松たか子)が暗躍しながら

お互いに死なず、恋愛を結実させようと奮闘する。

ところが、物語は結局同じ結末になろうとしていく…。

30年という月日が重くのしかかり、より過酷な運命へと導かれていくことの皮肉。

 

戦争が多くの人の日常を変えてしまうことが、いま重く響く。

 

じゅりえもジュリエットのようにろうみおに

(自分たちの恋時の邪魔になっている)その名前を捨てて

と語る。

 

この名前を捨てて匿名になることがろうみおの運命を大きく変えてしまう。

 

匿名であるがゆえに手紙が行き違う。

 

ネットの場では「匿名」が、ものすごく強大な存在として人の人生を変えてしまうこともある。

戦争の場では「名もなき人々」の悲惨な状況が大きく報道される。

 

どちらも本来は名前があり、それぞれの人生がある人たちなのに十把一絡げにされてしまう。

 

それぞれに、ろうみおとじゅりえのような多くの人が絡む唯一の物語が紡がれているはずなのに。

 

あれもこれもと綴られた手紙が待っている人のもとに届かない。

 

世の中の大きな得体のしれない強大な力は、名もなき人々の無数の集合体。

 

わたしも、あなたも、その中にいる。

 

野田秀樹の戯曲は、いつも言葉に笑って動きに目を奪われているうちに

そのときの世相にも呼応したような言葉遊び以上に多重な問いかけに巻き込まれる。

 

今回はそこに主要キャスト4名の美しさ、透明感、誠実さみたいな輝きが一層登場人物たちの運命を過酷にみせこちらの胸も抉られた。

 

もっと、想像力を持っていたいとつよく思う舞台でした。

ロンドンや台湾公演も控えている作品。

多くの人に届くといいな。

 

 

 

佐藤健にみるスター性の考察

  • 2021.12.24 Friday
  • 19:05

JUGEMテーマ:エンターテイメント

 

 

 

10年位前たまたまプライベートらしき本人をみかけたことがある。
滅多に芸能人に気づかない私が気づいた位なので
やはり並外れた人なのだろうけど
その当時の印象は華奢で気怠げな青年が立っているという風情で
誰だっけ?とすぐに思い出せなかった。
(当時子どもが小さかったのでテレビも映画もあまり見られませんで)
進行方向にいる彼に歩きながら誰だっけ?とじーっと見つめながら歩いていた。

するとあと50mといったところで目が合った。
向こうも凝視してくる私に
「・・・知り合い?」
という訝し気な視線をよこしてくる。
しかも姿勢をただしいつでも会釈くらいできますという体制に。
こっちはこっちで、やっぱり知ってる人???と思いながら目を合わせたままずんずんと歩く。
もうあと10mですれ違うというときに
「あ!佐藤健!!以蔵でQ10の子だ!」
と気付いた。
(知り合いじゃねぇ!芸能人w みたいな)
すると、佐藤健も
全然知り合いでもないただの一般人に気づかれたということを瞬時に理解し
やべー、目ぇ合わせちゃったよ…
とため息をつく勢いで目をそらされつつすれ違ったことがありますw

 

何が言いたいかっていうと、この俳優さんは

華を出したり引っ込めたりといったスイッチの切り替えを自然にやっている俳優さんなんだなってこと。
彼が普通っぽい人物と漫画原作の人物どちらも違和感なく演じている理由かなーと。
公衆の面前とかスクリーンでここぞというときに魅せる華がものすごく大輪であること。
これは一つの大きな才能で、磨こうとしてでてくる華じゃない。


だって、芸能界って基本めちゃくちゃ美男美女ばかりじゃないですか。
超絶的なスタイルとかありえないほどの美形がうようよしているのに
そのなかで主役を張れる人って一握りしかいない。

 

以前、私の中では素敵な女優さんだけどそこまで超絶美人!というイメージのない方の舞台あいさつに行った時。
出てきたその女優さんみてビックリ!
物凄い超絶スタイルの良い壮絶な美人が登場しました。


確かにその女優さんなんだけど、実物の方が何倍も輝いていて
思わず「えーーーーー?!」ってなりました。
実物の方がよりキレイ、かっこいいっていうのはままあることなのですが
次元が違いました。


こういうことがあるんだなとしみじみ思いました。


主役を演じるタイプってもう理屈じゃないんですよね。
かつ、主役も脇役もできるタイプってなるとさらに絞られてくるわけで。

 

両方できる方って
自分自身の見え方にこだわることも出来るし
俯瞰してこの中で自分はこういう感じにいようと判断することも出来る。
モノづくりの現場がとにかくお好きなんだろうな〜と思います。


そして、佐藤健氏についてはものすごく動けるアクションのできる俳優さんなのに
筋肉ムキムキになってもごつく見えないっていうのもすごい美点。
アクションやるようになるとみんなどうしてもムキムキ感でてきますよね。


西島秀俊しかり。
岡田准一しかり。


カッコいいんですよ!

(わたくし、二人のファンですし)

いいのですが、鍛えすぎてて首が太くなってくるから
体型からして只ならぬ人ぐあいが漂いまくってましてね。


後ろ姿やシルエットから
西島さんは公安の人にしかみえなくなりつつあるし
岡田さんはSPか殺し屋にしかみえない。(気がする)
頼りない人の良いあんちゃん役もやっていた筈なのにすべてがカムフラージュにみえてしまうw(大げさ)

 

それでいくと佐藤健はその眼光の鋭さから殺し屋にしかみえないのでは?と思うじゃないですか。
でも、顔のパーツが女性的で細面でごつくなりにくいのと首が長く肩のラインが落ちていたりと
体型的な印象で画面上実際よりも華奢にみえるタイプ。
一見強そうにみえないのに、めちゃくちゃ強いって役を説得力をもって演じられる俳優さんの筆頭ではないかと。


個人的には、今後ものすごい強い悪役をやってほしいです。
強いし頭もキレる悪役。
いぬやしきで演じた高校生のように単独で動くタイプではなく何か組織を率いていて欲しい(笑)
MOZUで長谷川博己演じる東みたいな狂気を抱えた組織の悪役とか似合うと思うんだけどな〜。

魅力的な悪役を演じてくれそうなので、勝手に期待しています。

舞台・フェイクスピア 

  • 2021.06.24 Thursday
  • 22:58

JUGEMテーマ:エンターテイメント

 

 

 

高橋一生、白石加代子、橋爪功ときたら観たいじゃないですか。
観に行ってよかったです。
そのほかの演者もみな素晴らしかった。


野田秀樹の戯曲はいつも言葉遊びに笑っているとあとで笑っていたことを後悔したくなるくらい
とんでもない場所に身体ごと連れていかれる

 

南へを観に行ったのは東日本大震災の直後で、観ている場合かさんざん迷って
演者がやるといっているのだから行こう!といったら
富士山の江戸時代の噴火=天変地異がモチーフで
震災とのシンクロ具合というか、なすすべもない巨大災害の予兆や発生になすすべもない翻弄される人々がその時の状況の重なり具合に怖くなって鳥肌がたった。


贋作桜の森の満開の下は坂口安吾の本があるし、野田さんの夢の遊民社時代の作品なので、壬申の乱がテーマにはなっているけれども、登場人物だけじゃなくみているこっちも右往左往でわけがわからないのにその迫力に攫われる。

 

そして、今回。
恐山のイタコ見習い・みならいあたいの前に突然頭をさげろ!と叫びながら箱をもっている男と娘を呼び寄せてくれといった初老の男がダブルブッキングで訪ねてくるところから始まる。
そこからある大きな事件がモチーフとなって気が付いたらその渦中に観客も放り込まれる。

今年80歳だという白石さんと橋爪さんはもう生きる伝説と化しています。
2時間ほぼ出ずっぱりで、語る、演じる。
立っているだけで目がいくすごい存在感。
橋爪さんはその時々で初老の男だったり、王様だったり、王子だったり、小学生になったりするのです。
舞台の素晴らしいところは声一つ、体の動き一つでこれらに説得力を持たせてしまうところ。
演劇って素晴らしい!ってしみじみ思いました。
身体から発せられる熱、気迫、セリフ。それらが匂い立つようにこちらに迫ってくるのです。

 

そして、高橋一生の声の良いこと。
さらに、身体の動きにキレがあって緊迫感があること。
彼の身体表現と声の表現力で後半の圧倒的な場面は迫力を増し、涙が流れるような場面に変容している。
野田さん、反則ですよー!
胸が詰まる。
私たちには言葉がある。

その言葉が聞く場面によって意味合いがかわり、重さも変わる。

 

頭をさげろ
頭をあげろ

この二つの言葉でこんなにも胸が締め付けられるなんて。
切実に紡がれた言葉はなんて重いんだろう。

 

いま。

とくにSNSという気軽に書けてしかも残る文字で大量に多くの言葉が紡がれている。
その言葉は軽く書かれるけれども、結構な凶器となっている。
吐いた言葉の重さが吐いた人とそれを浴びる人との間で均衡が取れていないことに時に絶望するけれど。
自身が発する言葉にも、大事な時に大事な言葉として響くように誠実に生きてゆきたいと思わせる舞台だった。

 

おカネの切れ目が恋のはじまり 不在というフィルター

  • 2020.10.09 Friday
  • 18:43

 

最初からライトなコメディにみえて主要人物たちが抱えている背景が割と重いドラマだなと思っていた。

 

主人公・九鬼玲子の家には父親がいない。
玲子は玩具メーカーの経理部で働き自身も倹約家。
一方の相手役・猿渡慶太はその玩具メーカーの御曹司だが、クリエイター気質で超浪費家。
母親に溺愛され、婿養子の父親にはちょっと煙たがられている。
ともにある意味機能不全や家族不在が色濃く漂う家庭で育ったことにも起因する清貧女子と浪費男子のお話。


しかし、1話のラストで玲子は学生時代の先輩であり初恋の人・早乙女健という経済評論家のおっかけをしており
その倹約が全部無意味だろ!と全視聴者が慶太とともに突っ込みたくなるような貢ぎ体質であることが暴露される。


一方の慶太もちゃらちゃらしていて能天気にみえるが、とっても人の心に敏感で繊細な青年。
自身が気にしている人のちょっとした変化や気遣いに即座に気づいてフォローしたり励ましたりする純真さがみえてくる。

 

いわゆるギャップ萌えが魅力の登場人物たち。
非常に偏った欠けたキャラクターが魅力のドラマだった。


主人公やヒーローが欠けているからなのか、出てくる人物みな欠けている。偏っている。
その偏りぶりが笑いを呼ぶのと同時に物悲しさもあって深みを与えていた。


慶太のできる後輩・板垣は実家の自営が傾きつつある中、金持ちに苛々し金に振り回される青年。
自分とお金の価値観が近い玲子に恋をする。


玲子が好きでおっかけている早乙女は爽やかだけれどもどことなく胡散臭いと視聴者思わせたと思えば
話が進むと本当にとんでもない人物であることがわかる。

 

そして、最終回の四話でこのお話はすごいものになった。


まず、慶太はいない。


でもすぐ帰ってくるような雰囲気で物語は進む。


玲子が清貧女子となった理由の父親のもとへ会いに行く。
慶太のかわりにAIロボの人形「猿彦」が旅のお供となる。
途中で板垣くんも加わる。

この猿彦が慶太の分身の役割を果たし、まるで慶太が横にいるように話が進む。

デキル営業・板垣君は玲子さんと慶太くんの気持ちも感じ取って告白もしないうちに失恋を確信してしまう。
さすが、心の機微に敏感な優秀な営業マン。

 

そして、玲子さんは慶太の不在に自分の中での彼の存在の大きさに気づく。
ラストシーン帰ってきたであろう人に向けての笑顔のアップでおわる。
ドラマの中では慶太はふらりと帰ってきて、玲子や周囲との物語は続いていくんだろう。

 

両親が多分期待しているであろうその発想力で
慶太は玩具メーカーでヒット製品を生みだすんじゃないだろうか。
玲子さんといい具合に倹約と浪費が中和されて
でも時々浪費しては慶太くんは玲子さんに怒られ
でもトゲトゲした玲子さんも慶太くんの笑顔についつい絆されて
なんとなくそこに貢ぎ体質も顔をだしてしまって
仕方がないなあと慶太君の浪費を許してしまうような日常が繰り広げられるんじゃないだろうか。

 

それぞれの心の中にある物語をのこして逝ってしまったんだなと思うと哀しいです。
けれど、制作陣と役者さんたちが慶太というキャラクターを観る人の心に委ねる送りだしをしてくれたんだと思うと

なんてすばらしい最終回だったのだろうと思います。
 

あの最終回は、観ている人の心の中に慶太を送り込んで永遠にとどめてストーリーを展開させるための最終回だった。

少なくとも私はそう感じました。

 

自身の姿を遺せる「役者」という仕事の素晴らしさ。

でも、同時にこの先の変化も観たかったと切に思います。

ブログを始めて16年?!

  • 2020.08.11 Tuesday
  • 23:51

 

我ながら、ブログも当初からのジュゲムブログのまま

書く頻度はかなり下がったけど、延々と書いててびっくりする。

特に盛り上がることもなく淡々と続いていて、ほぼ日記。

 

自らあの時どうだったけ?と確認すると結構このブログに残っていて

あーあの時こんなことあったなー

そうそう、こういう風にしたんだったなんて思い出せていい感じである。

以前子供の0歳から2歳までについては結構まじめにいろいろ書いたので

育児日記として冊子に取りまとめてあったりする。

 

自分の中でまだTwitterもなかったし一番のライブ感を醸し出していたのはやはり出産時かな。

 

破水した

 

産まれました

 

 

番外。鈴太郎の部活を家人は予言してた。

○○少年

 

あとはミーハー日記としての役割も高い。

あの辺であの映画を観たっけとか

あの当時の音楽…とか自分でたまに検索してるくらいw

 

2004年からずっと一応いるのはふじっきー

ちなみにファン歴は2001年からです。

本日の読売と明日のズームイン

 

そして2005年より台湾の仔仔(ヴイックチョウ)

我是不是感冒了?

 

さらに2013年くらいから斎藤工氏が加わり

セクシーボイスアンドロボゲイシャ(斎藤工)

 

そしてなぜかもうすでに大人気なのに

なぜか目の前をかなりスルーしていたらしい佐藤健氏が2020年より加わってます。

世界から猫が消えなたら 佐藤健は途轍もない

 

最後の世界から猫が消えたなら以外は「類類系ネタ」カテゴリに

私のミーハーな叫びが凝縮されております。

 

初期は漫画の話も延々と書いてたな。

コメント欄もこのころは熱かったw

 

本といってもまずは漫画話7

 

しかし、気づくとブログ書いている人って減りましたよねー。

ブログだとせいぜいアメブロかはてななんでしょうか。

あとはnoteとかに移行しているんですかね。

 

最後に何気に私のブログで長いこと検索で来る人が多い記事を

 

プロ主婦とは

 

ここにでてくる専業主婦25年以上からスーパー家政婦になった友人の母は

海外の大使館員のお宅とか某大企業の会長宅とかを専属でやっていました。

 

そして、私はいまだに整理整頓が苦手でアイロンがけは大嫌いで

最近ようやく家人や息子のワイシャツは本人たちにかけさせる方向に軌道修正し

裁縫は嫌いだが手芸と編み物は好きなのでなんとかそれだけでもやろうと格闘するサザエでございま〜す。

 

 

電車が…好きだ

  • 2020.08.01 Saturday
  • 17:45



旅したーいという気持ちの現れで旅行写真を整理していたら、出るわ出るわ
電車の写真。


小さい頃は子どもが電車電車いうのに付き合って色々と見に行ったが、考えてみたら10代の頃から電車の旅が好きである。
原風景は東京駅から広島駅まで乗っていた新幹線かな。
母親の実家への道のりが飛行機でも電車でも関東からは行きにくい場所だったので、乗り換えが少ない電車でそれでもだいたい11時間くらいかけて行ってました。
暇なので、本も持っていくのだけど読みおわると時刻表の路線図みながら車窓をみていた。
それが結構楽しかったんですよねぇ。


そして、いまは電車の顔を撮るのも好き。
箱根行った時はこの展望室を押さえてワクワクしながら正面を見てましたねー。
いい歳でも楽しいものは楽しいのである。

あーやっぱり旅したいなぁ

旅の計画は色々立てておくことにします。

凛々しく繊細だった君へ

  • 2020.07.20 Monday
  • 21:45

少し前に書くだけ書いてお蔵入りさせるつもりの記事でした。

思うところあって公開しておきます。

小学生のころ仲良くなった友達の中に

全方位にできる女子がいました。

勉強スポーツは言うに及ばず、ピアノ、テニス、書道などを習いそれらも上手い。

目立つタイプだったけれど、自分から前に出るような子ではなかった。

何でもできたけれど、当然のように結果を期待されること自体が好きではなかった彼女。

私と二人ではいつも漫画を読んだり、音楽を聴きながら静かに過ごすことが多く

成田実名子のエイリアン通りのセレムくんのかっこよさの話に盛り上がったり

飼っていた鳥と遊ぶのが何より楽しいという繊細ではにかみ屋さんでした。

大学は別々でしたが、卒業旅行は彼女と行きました。

アジアのおいしいご飯を食べたいねってことで

ベトナム、タイ、マレーシアへ行っていろいろ食べた。

彼女は聡明なだけでなく、使命感も人一倍ありそして努力家。

国立大から、ある特殊な国家公務員の道へ。

勤務地は九州となり、多忙で結婚後の勤務地も変わらずなかなか会えなくなった。

けれども、たまに会えるとおいしいものを一緒に食べた。

実は何度かこのブログにもその一部を書いている。

大人の修学旅行in金沢

移動の連続・最終地へ

水炊き長野

近年なかなか会えずにいたけれど、自粛期間中に

幼馴染たちでオンラインで会おうという話になり久しぶりに連絡を取りました。

亡くなっていました。

呆然としました。

体調を崩したとは聞いていて

そのまま、元気になったかなと連絡したら、お母様に実は…と。

連絡しようとしたのだけど

(こちらが実家も引っ越してしまったので)わからなくなっててできなかったの

ごめんなさいねと謝られてしまった。

彼女のことだから、体調が悪い自分に気を遣われたりするのも嫌がったのかなと思ったら

まさにそんなようなことをお母様には言われた。

彼女らしいといえば彼女らしいのですが

こちらから連絡すればたぶん彼女は、いいよー会おうと言ってくれたと思う。

いまはいつでもこの実家にいるから会いに来てと言われ

またこちらから連絡しますといって電話を切った。


写真は彼女が毎年送ってくれた版画の年賀状のうちの一枚。

小学生のころから彼女からの年賀状は版画でした。

手先も器用だった。

何をやるにも時間がかかる私はいろんなことで彼女にコツを教えてもらったりしました。

だから、天はなんでもできる彼女を早くに連れて行ってしまったんだろうか。

老後はまた友人たちで近くに住んだり旅行したりしたいね、そのために働いてお金貯めてたいねーなんて笑いあったのに。

私はあなたとまた旅行に行っておいしいものが食べたいよ。

でも、お母さんが亡くなる半月前まで一緒に旅行ができてとっても楽しかったと仰ってた。

おいしいものをみつけるのがうまくてよく知っていましたよねといったらお母さんはかぶせ気味に

「そうそう、そうなのよね。どこにいっても彼女の行きたい店は美味しかった。」

自慢の娘だね。

お母さんの嬉しそうな声に、ごめんね、堪え切れず泣いてしまいました。

私にとって昔も今も自慢の友人。

ようやく、心の整理がついてきたので 

近く彼女に会いに行こうと思っています。


忙しいだろう、大変だろうと連絡を躊躇した自分に対してとても後悔しています。

ここにも何度も書いてきたけれど、こういうことを恐れてきました。

だから、これを読んだ方には

会いたい人には会いたいときに会う努力をすることをお勧めします。

そして、これを読んだあなたがもしいなくなったりすると

必ず悲しむ人がいるということも心に留めていてもらいたいと思います。

私たちは批判するときだけは多数派になってしまう

  • 2020.06.28 Sunday
  • 14:45

 

去年上野千鶴子氏の平成31年度東京大学学部入学式祝辞が話題になりました。
東大のHPに全文が掲載されています。

 

ジェンダー論についてはいろいろなところで議論があるようなので

あえてそれ以外で自分が一番いいなと思ったところをとりあげます。

 

抜粋******************************
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。

恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、

そういうひとびとを助けるために使ってください。

そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください
抜粋終わり******************************

 

なんだかんだいって日本での最高学府です。
ノブレスオブリージュの精神で自身の能力と努力を

自分の周りの人や世の中のために使って欲しいと願うのは
至極まっとうなことだと思いながら、ごくごく当たり前のことを言われないとならない世の中の空気なんだなあと思った。

 

ネットにて車椅子で満員電車に乗り怒られ大変恐ろしい思いをしたという話に対しての返信が
みんな耐えに耐えて電車に乗っているのだから、混む時間帯は遠慮してタクシーで行けとか
時間をずらす配慮が必要
なんてコメントがバンバン出てきていて

そういえばベビーカーも満員電車は乗るなの大合唱だったりで
どれだけ狭量なんだよと辟易している。

 

自分や自分の身近な人以外は全部死ねといわんばかりの論調がここかしこにあって
自分さえよければ後はどうでもいいという世の中のムードが醸成されているような気がして非常に不快だし嫌です。

 

他者を攻撃したって何の解決にもならない。
混んでいる時間は遠慮しろって相手に一方的に要求するが
仕事にいく人は時間をずらせないのか?
その電車ではならないほど切羽詰まったタイムスケジュールで働く自分自身の待遇を改善することは出来ないのに他人にばかり変更を要求することは傲慢ではないのか?


コロナ禍によって、以前よりはこの時間に職場にいなければならない絶対数は減った。
絶対に職場に行かなければならない人を「なぜ職場に行くのか」と逆に糾弾する人が現れる始末。

 

常にきちんとしている人が大多数でも少数の眉を顰める人々がいるせいでとの論調も嫌い。
すみませんという体で謙虚な母親と赤ちゃんなら頑張ってと思うけどみたいなフレーズよくききますけど
ジャッジして謙虚ではないと判断されると排除されるってなんなの。

 

そもそも、若く健康で働いている男性や女性という存在自体がすでに多数派ではない。
勿論、東大に進学している人が毎年数千人いようと当然超少数派。
自分一人で頑張ってきて、努力せずだらけた人間は自業自得である、助ける義理はない。
そう切ってしまえば、自分のやる範囲も明確になって何事もすすめやすいでしょう。
けれども、そうやってバッサリ斬ってしまうと自分の身の回りの少数にしか影響は及ばない。
社会の歩みも停滞する。

 

私たちは批判するときだけは多数派になってしまう。
何かに目をつぶっては人を攻撃すると一時的にはスッとするかもしれません。
けれども、自分たちが多数派ではなく少数派の糾弾される側に立たされた時
自分が攻撃した刃によって、自らが刺されることになる。

 

人を貶める根拠やネットで調べた何かは果たして真実なのか?

事実や真実はどこにあるのか?

それらは一つしかないのか?

 

息子にもめちゃくちゃこれを問いかけています。

東大王みてすげーなとか言ってるだけじゃいかんのです。


「知らない」ということにもっと謙虚になる時代ではないかと思う。

無知の知っていう言葉があるじゃないですか。

哲学とか倫理を学ぶって非常に大事なんだなと思う今日この頃。

 

インドア一家

  • 2020.05.25 Monday
  • 19:01

JUGEMテーマ:日記・一般

 

うちは、私も家人も息子も全員インドア派です。

めっちゃオタク。

 

私は漫画、本、映画

家人と息子はゲームと漫画

 

もともと家でそれぞれ自分の好きなものをやっていれば幸せな人種なので

今回の学校やら仕事で家にいることになっても結構楽しく日々過ごしてしまっています。

 

というか、

私はやはり通勤時間に相当体力と気力を奪われていること

仕事中の電話応対や取次にかなりの時間を使っていることに気づいた。

 

家で関係ない電話応対や誰もやろうとしないことをかわりにやるみたいなものがなくなって

かわりにだんだん減ってきたけど、義父母にちょいちょい家の用事を頼まれて中座しても

仕事の効率は変わらないか上がっているくらい。

いま、打ち合わせをある程度すれば一人で作業できる工程ばかりなせいかもしれないけれど。

 

自粛が解除されても今後も週に1,2度は在宅でやらせてもらえないかなと上に打診中。

ずっと出勤しないというのも考えましたが、それだと義母がダメみたいなので

私もストレスたまった家族をみるのも、普段ならいないから言われないことを言われるのもこっちもキツイので

適度に離れる時間が必要ってことで(笑)

 

家人の仕事も以前は絶対に在宅ではできませんという感じだったけど

そんなことも言っていられない状況になっていろいろ改善されたし

 

息子も親のこちらも家にいることで揉めることもありますけれど

今までもうちょっとやってもらいたいな、自立を促したいなと思うことを少しずつやらせる機会ができちょうどよかったかもしれないと思ったりしています。

 

1日のスケジュール平均的なもの。

 

起床時間は家族全員ほぼ変化なし。

5時過ぎ 私起床、洗濯物を干す。朝食づくり。ゴミ出し

6時過ぎ 家人、息子起床、昼食(弁当など作り、夕食準備)

6:30 朝食

7:15 掃除機かけたり、庭掃いたり。息子:風呂掃除

7:40 私と家人はウォーキングへ

8:30 息子:オンライン授業や自習

9:00 私と家人は在宅仕事開始(日によって前後したりしている)

13:00前後から昼、洗濯物取り込み。たたみは息子

14:00 息子は小一時間運動。私と家人は仕事再開

15時過ぎ 息子宿題等

16時過ぎ 息子はゲーム

18:00 息子は習い事がある日はここで習い事。ない日はピアノ練習 親二人は順次業務終了

18時過ぎから順次風呂&休憩

20時前 夕食

21:00 息子の漢字や英単語暗記テストを出しながら親は筋トレ

21:30過ぎ 自由時間 親は場合によっては仕事

 

土日は、昼を食べた後は、息子に夕食づくりをお願いしている。ざっくり基本の切り方とか教えながら

レシピ本や家庭科の本から本人が食べたい主食と副菜、スープを作ってもらっています。

始めは2時間とかかかっていましたが、だいたい1時間以内に終わるようになってきました。

 

息子作:ベジタブルカレー、麻婆豆腐、牛丼

 

夜は金曜や土曜は三人でプレミアムライブ配信とか、映画とかドラマを観ています。

自分もちょっと時間のかかる料理やっちゃったり。

 

例えばたけのこごはん。たけのこが近所で300円とか400円なんですわ。

 

本当は編み物もっとガンガンやって、未読の本もばんばん消化するはずが、未読の本はまだ半分以上が未読のままで編み物も基本練習で止まっていますw

 

占いもやっているのですが、こっちも新しい試みをやるはずが、ちょっといろいろ滞っているうちに

緊急事態宣言が解除されたやないかーい。

 

いや、でもがんばる。

 

っていうかですね

ミーハーな私には芸能人や映画監督やミュージシャンの方々がインスタライブだのyoutube配信だのリモート作品だのいろいろ繰り出してくださるのを夜な夜なウハウハしながら観てしまったりして、寝不足気味なことも多々ございます。

通勤時間帯を使ってちょっとそこで30分寝て起きて仕事とか

なぜそんなせわしないことになっているのか!と。

 

家人と息子にはその芸能鑑賞の時間を減らせ、推しをこれ以上増やすなとぎゃあぎゃあ言われている日々です。

 

あーたのしい。(小声)

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