調べもの学習に物申す
- 2018.03.16 Friday
- 13:12
最近学校でフツーに
○○について発表してもらいたいので調べたことをまとめて発表してください
という授業が社会やら理科やらなんかを中心に結構ある。
どういうことをやっているのかは公開授業などでみるまでわからないことが多いのだけど
「調べる」ことについてきちんと説明なされている雰囲気がなく
どうなんだ、これと思っている。
子どもだけの話を聞いていると
○○について調べてね。
調べるのはネットでも本でもいいよ。
調べることはグループで話し合ってねという時もあれば
先生がサンプルとしてこういう風に調べて発表しますといった提示をしている場合もあるようだ。
が、ここで私が気になっているのが
その調べた情報は正しいのか?をどう検証するのか
何を調べるのか
どうまとめるのか
といったことを子供たちに全くレクチャーしていないのではないかということ。
どの発表を聞いても
調べた結果がだれのどういうページなのか出典を明らかにしていない
まとめた内容が散漫なのに、形式が似ている
(先生が例として出したものをそのまま真似ている)
これでは、将来レポートやら論文書くときになって
コピペはダメですよっていきなり言われても
「なんで?」
ってなりそうだし。
トンデモ理論を堂々と主張されて、それおかしいよと指摘してもネットに書いてあったから正しい!
などと言われそう。
っていうか、既にそういう人結構いますよね?
卒論のコピペとかももうだいぶ前に問題になりましたよね?
情報に触れさせる、調べさせるなら
テキトーなキーワードで検索して出てきた最初の結果を丸写しして調べましたってやっちゃうのは調べたことにならないというのをきちんとやった方が最初大変でも後々本人も周りも困らないと思うのですが。
特にネットは本と違って複数の目を経て校正や検証されていないデータが満載。
それも日本語となると限られたデータしかないものも多い。
Wikipediaと国語辞典やイミダスではカバーしている範囲はwikiの方が圧倒的に広いが
その検証については曖昧な情報も多く、一般の人がある程度気軽に書き換えたり書き加えることの情報であるという認識をもっていないとマズイと思う。
小学生だからとかまだまだもう少し大きくなってからきちんとなんて言っていると二度手間だし
そもそも、今の子供たちにとっては生まれた時から本と同じようにネットがあるのだから、それぞれの区別も曖昧だし
ネットだろうが本だろうが、その情報が正しいかどうかを確かめてから引用するという前提を教えずに調べろっていうのは随分乱暴だなと思う。
とりあえず、鈴太郎に
・ネットで検索する前に何について調べるのかを考える
(検索した言葉をメモしておく)
・調べる言葉によってネットでも結果はずいぶん違う
・調べたページが間違っていることもあるからいくつかのページを参照する
・引用したページについては「○○サイト」を参考にしたと書く
・専門家の意見や本もみることができればベスト
・書かれていることと反対の意見はないのかを確認する
・調べるものによっては日本語の情報は実はそんなにたくさんない。英語だと喋っている人数からして違うから得られる情報が何倍も多いので大事
といったことをゲームの攻略を例にあげて説明したがちょっとパンクしてた(笑)
でも、学校でできれば参考するサイトや本についてきちんと書き留めておくことと
1冊の本や1つのサイトをうのみにするのではなく最低2つの情報にあたってみることくらいは呼び掛けて欲しいなあ。
もしくは発表の段階で
これはどこに書いてあったの?
この意見と反対のことは書いてなかった?調べた?
くらい聞いてほしいなあ。望みすぎ?
でもその辺問わないなら調べもの学習に安易にネットOKと言わないでほしい。
(本も1冊のみとかだとやっぱりツッコみたい。意味ねーよ。)
あんまり意味ないっていうか害の方がデカイ。
というわけで、いい本ないかな?と調べたらこちらがでてきた。
取り寄せて読ませてみる。
下の子の今の担任なんか生徒にシネって言っちゃってるからね、レポート以前の問題。
PTAは無駄な活動ばかりだし早く卒業したいわ。
そらまた強烈な。自分の頃にはそういう教師が複数いてもう一掃されたかと思ってたのに。なぜそうなるのか…。
学校の先生もやたら学校に遅くまでいるので、色々大変なんだと思うんだけど、英語とか道徳とかの前にもうちょっとどうにかできるところがあると思うのよね。
いつまでも教科書は電子化されないし、パソコンルームあっても
ITリテラシーも何年経っても教える気あんのか微妙だし、PTAも効率化しようとすると結構な壁が立ちはだかって近いうちに成り手が確保できずに制度崩壊すると思うわ。(親が学校運営を手伝うのは悪い事だとは思わないのだけどね)