褒められ記憶
- 2010.10.27 Wednesday
- 12:50
ほめかげん書いてから、さて自分は何で誉められて木に登ってきましたかね?と考えたら
親にはあんまり面と向かって誉められてきた記憶がないことに気づきました。
基本、貶しあい家族なんでね・・・。
んーじゃあほかでと考えて思い当たるのは学校の先生なわけです。
小学校3年生の時、作文を誉められたのが大きい。
当時、そんなに本を読む子供でもなかったし、ましてや作文でいつも表彰されるような子供でもなかったんです。
授業中に先生が読んでくれたか紹介してくれた本の感想を作文で書いてきてと出された宿題。
松葉づえの少女 著者:堀尾青史という本だったのですが、素直に感動したんですね。
その感動をそのまま文にして書いたら、担任の先生が誉めてくれた。
それで、ああ、そうか。
作文はそう書けばいいのか〜と納得した瞬間でした。
私が文章を書くのが好きになったのはこれがきっかけ。
実はそれまで、どうやって読書感想文を書けばいいのかあんまり理解してなかった。
作文も何を書くべきなのかよくわかってなかった。
その戸惑いがいっぺんに氷解するようなものだったんです。
先生に誉められるという経験自体それまでほとんどなかったので、そりゃ〜でかかったです。
今でも覚えているくらいだから。
それから読書感想文も作文も得意になったし、本を読むのも好きになって自分からいろいろ読むようになった。
国語や現代文のテストはこの小学3年生で体得(?)した方法で全部乗り切ることができました。
問題文をざっと一読した後に、文章に感情移入して読むんです。
物語じゃなくて論文でも同じ。で、わからないところや印象に残ったところに線引きながら一回全部読む。
その後、問題を見直しながら一つずつみると、だいたいそうやって引っかかって線引いたところが答えに絡んでる。
物語文だと、たまにテスト中に凄く感動したりしてました(笑)
主人公になりきって、四択なんかは
「こうは思わない、これも違う、こっちかこっちなら全部書いてあるのは(ウ)しかない!僕はウだ!!」
とか脳内で叫びながら(笑)
だいたい途中から途中までしか載っていないので、前後を想像してみたり。
これの欠点はですね、どうしても主役に憑依できないとき、正答率が著しく下がること(爆)
そして、かように影響の大きい教師。
親愛の情を示すのにセクハラとか2人きりになるとか必要ありませんから。
子供を可愛がることの意味をはき違えないで欲しいとも思う今日この頃。