おばあちゃんのランドセル
- 2012.10.24 Wednesday
- 12:27
今回ちょっとしょっぱいというか残念な話。
何が残念かというと、私の気持ちが。
そろそろ鈴太郎にもランドセルをという季節になってきました。どこにも売ってないことはなかろう、直前でもいいじゃ〜んと思っている私に、某場所よりランドセル販売のカタログが届いた。
そこで価格帯の幅に疑問を持ったので、素材やらメーカーやらざっくり調べた事で、自分が祖母から送られたランドセルが結構な高級品だったことを初めて知った。
祖母からランドセルが来たよと言われて箱を開ける時、私の時代ランドセルはすでに人口革のクラリーノが主流で、私はそのつやぴかなランドセルが出てくると思っていた。すると、箱から出てきたのはえんじ色がかった少しにぶい輝きを放つ落ちついた色のランドセルだった。親には馬革のランドセルだって、本物の革なんだから大事に使うようにと言われたが、私は内心がっかりしてしまったのだ。
物を知らないって不幸ですね。本物の革よりニセモノがいいだなんて(笑)
当時から物の扱いが丁寧とは言い難かったので、壊れはしなかったけど、そりゃー傷だらけになりました。友達の傷が見当たらないランドセルをみて、やっぱりこういうのが良かったと思っていたバチあたりです。
ここにちょくちょく出てくる父方の祖母は、私が小学生になるまでは新潟で働いていました。
息子である私の父の家へと引っ越してきたのが小学一年の夏休みでした。
祖母は教育ママのはしりで、というのも父はともかく伯母達は祖母が勉強しなさいと言わなくても熱心に勉強するタイプだったそうで、とにかく伯母達がいかに常に勉強していたかを聞かされぼんやりしている私の態度を嘆いたものです。
小学校に入る前に自分の名前の読み書きも出来ないなんて!と父母にかわりビシバシとひらがなの書き取りをさせたのも休みのときに来た祖母。
小学生の時にピアノだ習字だそろばんだと習わせるように父母に言ったのも祖母。
(でも私が唯一続けたのは習字だけw)
父や伯母達の時代は母子家庭というだけで銀行等には就職は不可という時代だったんだそうです。
祖母自体も特に学もなかったし30年位ずーっと今でいう非正規雇用で働き続けた人なので
格差や差別を乗り越えるには、学が必要っていうポリシーが強烈でした。
勉強に関わることでは、出費を惜しまないところがあった。
父が子供の頃に祖父(祖母にとっては夫)が亡くなって以来、コツコツと働き続け
文字通り爪に火をともすような暮らしの中孫の私にも奮発して高級品を贈ってくれたんだなあ。
そう思ったらカタログをみてちょっと泣けた。
ばあちゃん、ありがとう。
でも、苦労人の孫は、アホで俗物だったので高級品をきちんと使いこなす器がなかった(笑)
第一クリーム塗るとかした記憶が一度もない。ごめん。
ちなみに、今みる馬革のランドセルは、写真でみる限りぴかぴかでまた、私が使っていた時代からは色々進化(?)しているようだ。
こういう経験から、鈴太郎に高級品を与える気持ちは毛頭ございません(笑)
ええ、猫に小判は猫にだけで充分です。ははは。
義父が買ってくれるということなので、奮発させずにそれなりの品にしてもらう予定。