目的は大事。
- 2013.01.17 Thursday
- 12:58
最初に断っておくと、このタイトルのように悟ったのは大学卒業後。
遅い。今の若者をまったく笑えない。
さて、今回のタイトルを説明するためにまずは単純にグループ化。
優秀で目的あり
優秀で目的がない
普通で目的あり
普通で目的がない
「小学生の頃、予習復習しなくても授業聞くか教科書を1回読めばだいたい理解出来た」というタイプが小学校くらいだと一定数いる。
その中でも1度見たら写真のごとく記憶できる神童タイプで、生きていくためには何が必要か?なんてことを考えなくても身につけていたり
なんにでも興味や好奇心を持って自分から調べて納得していくという生まれながらの勉強家、夢もいっぱい、実現に努力なんていう人たちが
優秀で目的もあるタイプ。
が、割合としては少ない。
普通でも目的がある人も強い。これもまた、学校では多数派ではない。
素晴らしい人生を歩むのに優秀さとかあまり関係ないので普通だろうが要領悪かろうが全く問題ない。
普通で目的がない子はわんさといるけど、これは下手にプライドさえなければ好きな事さえ見つけられれば早い。
どう目標を持たせるか、好きな事を伸ばせていくかにかかっていると思う。
こういう子は実学向きな子が多いので、いかに勉強していることが将来やりたいことに直結しているかが分かれば伸びると思う。
ちなみに、自分はこのタイプ。
目標は浮かんでは消え、消えては浮かびでなかなか定まらずw
漠然と、ずっと働き続ける自分というものがあっただけ。
小中学校で仲良くなった子達がたまたま優秀な子が多くて高校はそれなりのところへ引っ張られほぼ全員大学進学を目指す前提だっただけで、小中の母集団が違ってたら大学は行ってなかった気がする。
親は未だにお前の友達はお前以外みんな優秀って言います。
ま、実質その通り(爆)
で、その過程で出会ったのが↓
実は最も厄介なのが、優秀なのに目的がないタイプ。
なにが厄介かっていうと、目的がなくてもそこそこの成績がとれるところ。
(目的が成績そのものだったりするタイプ)
なんで?って思います?
昔は大学まで進学する人自体が能力的にも経済的にも限られていたからこそ
学校で優秀であれば、そこから職業を選択することが出来た。
けれども、いまは大学進学率も高く、親も出来れば子どもには多くの選択肢を用意してやりたいという家庭も多いのでまずは良い成績をと願う。
その先の目標を叶えるにもまず一定の成績がないと話にならないと親子間でも成績の話はしても将来どうするか、何をするか、あと親自身がどう考えいまの立場にいるかってことをあまり話さない家庭が多いんじゃないでしょうか。
そのままひたすら勉強だけして目的を後回しにしてしまうと
選択肢は有り余るほどある事がかえって自分が何がやりたいのかできるのかを見えにくくしてしまうのです。
人間そんなに勝手に目標ややりたいことなんてみつからんのよ。
この欲望渦巻く現代においては。
下手したら30代になっても自分探しをすることになる。
気づいたら人生後半に突入です。
学生時代優秀で通ってきただけに、成功(?)している人が身近にゴロゴロいたりするから余計に自分もある程度はって焦る。
半ば希望そっちのけで入った会社だとちょっとの不満もおそろしくデカくなってしまって続かない。
かといって「これは自分には向いてない」「やりたいことじゃない」などと思いながらではスキルだってそうそう身につかない。
転職がうまくいかない。
負のスパイラル。
ありあまる能力を使いこなせないのです。自分も、周囲も。
ああ、勿体ない。
これって本当に不幸だと思う。
そうなったらどうするべきか?と問われれば
今ある環境(家庭や仕事)で頑張るしかない。
10年も続けられれば、本人がどう思おうが天職。その道を一つは究めるべき。
いや、それはちょっと納得できないと思うなら方向転換もアリですが、もう一本柱を増やしてみようと別のことにも手を出してみたらどうかなと思う。
大変だけど。
でも、好きな事、苦じゃないことなら結構できるもんです。
人間向いてない事には案外そんなに長いこと対峙していられない生き物ですし。
あとは自分がその状況にどう折り合いをつけるかって事が重要。
賢ければだれでも医者になれるかというと違う。
努力して頑張れば思い描いた職業につけて輝けるなんて幻想です。
そんなに人間は平等じゃない。
(ということに気づくのも私は遅かったから自省を込めて)
ノーベル賞とった山中さんなぞわかりやすいですね。
外科医としての山中さんは全く役に立てなかったとご本人が言っている。
不器用だったんだそうです。
手術で細かい手先が必要なのに上手くできない。
これって、勉強や暗記ではどうしようもないところです。
早々見切りをつけて研究の道でひたすらその能力を使ったからこそ今の結果がある。
見極めるのも能力のうち。
そういう風に自分は何が好きで、何が得意で何が不得意か、集団は自分の能力を測るものさしだと思えればいい。
ついつい、比べちゃうと頑張ってほしいと思うのが親心だったりしますが
自分が比べられて奮起した記憶が全くないので、自重したいもの。
さて、私はそういうことをうまく鈴太郎に伝えらえるかなあ。
(どうも苦手なんですよね、人に気づかせるっていう教え方)