というか、五感がきちんとしてないと第六感もクソもない。
先日、鈴太郎に折り紙で手裏剣つくって!といわれた。
わからないから作れないという私にスマホを指さし、調べたら作り方わかるんじゃない?
といった。
はたして、作り方の動画があって、結局ソレをみても作れなかった鈴太郎は私に丸投げしてきたのだが、考えてみるに6歳ごときで調べる=ネット検索って刷り込まれているのが偏っててイヤだなあと思った。
子どもが即座にいうくらいだから、私は常日頃からネット検索にはかなりお世話になっている方です。
仕事でもそうだし、家でも何か調べたり予約する時にはとりあえず検索する。
けどね、ネットにある情報って時に偏っており、時に間違っていて、時にネット上に大事な情報はない。
(勿論その逆もいっぱいあるわけだが)
これは、自分が小さい頃は人に聞いたり本で調べたり、やってみたりした経験があるからわかること。
例えば、自分が小さいときに流行っていたものなんかをネットで調べてみても、案外出てこない。
もしくは同じ情報ばかりがでてくる。これって誰もその当時の情報をネットにあげていないから、ですよね。
自分で見たり、聞いたり、触れたり、味わったり、嗅いだりすることでその人の記憶に染みこみ、経験の血となり肉となる。
これは、どんなに文明が発達しても変わらないと思う。
TVの紀行番組で観た素晴らしい景色も、その時の気候や、一緒にいる人、撮ったカメラマンや編集したディレクターの視点であって、その時に自分が観て感じたものではない。
だからそこがどんなに素晴らしい景色でも、実際に自分が行ってみて素晴らしいと感じるかはわからない。
そして、行ったからといって、その経験がその場所の全てではない。
ネットでは確かにびっくりするほど素早く世界中のことがわかったりする。英語も出来れば確かに、夥しい数の情報や知識が得られる。
けれども、大事な情報はささっと検索したところに全てあるわけではないのだ。
ネットは世界中の人がみて、残りますからね。
あえて出さないもの、でない結果もある。
情報はタダではない。
それは、自分がよく知っていることを検索するとわかる。
また、つぶさに載っていてもそれを、自分でやってみると全然違う印象になってしまうこともある。
案外それがわかんなくなっちゃうんだよね。
特に生まれたときからネットが身近ないわゆる「デジタルネイティブ」世代にはこれをよぉーく教えておかなきゃいけないと思う。
例えば、コガネムシをみつけなんという名前のコガネムシかを図鑑やネットで調べる。
似たような模様、色合いをみつけてこれかな?と思っても、大きさが図鑑の体長より少し大きいとか、模様が少し違うような・・・なんてことは多い。
この判断を埋めるのが自分の経験値。
実際に何匹か同じ種類をみると、これはツヤコガネだね!なんてことが感覚的にわかってくる。
自分で確かめることが身につけば、日本にはいない、亜熱帯の種類やらをネットでみてスゲーなで終わるんじゃなく、じゃあこれは実物はどんなもんだろうか?という思いも生まれるかもしれない。
検索だけでなにもかも得ようなんて甘い。
人生も物事もそれほど単純じゃないのだ。
ネットは、物事を知るフックであり、探求するキッカケ。
過信してはならない。
ネットやっていると時に唱えなければならない掟。