Where do you go?

  • 2013.07.20 Saturday
  • 05:18
本来、私は家が好きである。
というと大笑いが聞こえてきそうな位、何かと言えば旅だ、旅!といっているわけですがこれには理由がありまして。
ほら、同居なんぞしてまして、嫁姑お互いにずーっと家族全員がいると煮詰まるってタイプなんですよ。
義母さんに「家族で泊まりに行ってくれば?」といわれることもあるくらいです。
まあ、行ったら行ったで、長く空けられると家の仕事がきついとか言われることもあるのだがw

そんなこんなで、家人には必要経費だと言って、無理矢理連れ回しています。
※義父、家人は家大好きで旅行なんて別にしなくていい人達。

というわけで鈴太郎はすっかり旅に対しては抵抗なく育っている。
思えば9ヶ月の時の蓼科を皮切りに
11ヶ月の時、大阪の友人宅へ。1歳で愛知の親戚宅へ。
1歳半で直島。
2歳では幼馴染み達との集合で10人単位で大人と子供入り乱れての福岡や金沢。
金沢は京都で友人達と待ち合わせなのでそこまで親子二人旅。
帰りも越後湯沢経由で二人旅をしてすっごくたのしかった。

そうそうその2歳では、いきなり家人が懸賞をあて、2泊4日という超弾丸ツアーでLAへ。
色々心配したんだけど、食べ物以外はどこでも眠れて、案外場所にも物怖じしなかったので大丈夫でした。

ここでも折に触れて旅のことは書いてますが。

というわけで今回も旅へレッツゴー。

毎回旅行前はハチャメチャになるのですが、今回は己の容量の悪さに
仕事のピークがずれるという不運が重なり、徹夜しても仕事が終わらねえってことで
泣く泣く旅行先に仕事を持ち込みます。

うわあああああ!
絶対やりたくなったんだけどー!

眠い。

でも旅に出る。女に二言はない。

今回は高校生から行くと決めていたフィンランドへ行ってまいりまーす。
途中友人親子と合流、後半は鈴太郎と二人旅になります。

良いになるといいなあ。

映画から世界へ興味が移ったきっかけ

  • 2013.07.16 Tuesday
  • 00:37
中学生の時に授業中結構な割合で映画を観た記憶がある。

そのうちに強烈に記憶に残っているものが2本。

「アマデウス」と「黄色い大地」である。

ちょうどレンタルビデオ屋が近くに出来たこともあり、よく父と映画を借りに行くようになりロードショーを愛読し始めた頃。
トムクルーズ(よく考えればこの頃からキャーキャー言われてたね)だリヴァーフェニックスだマイケルJフォックスだと騒いでいた
ミーハー少女の心に、上記の映画は今思えば深く刺さった。

アマデウスは確か音楽の授業として観たのだと思う。
モーツァルトの生涯を通してあの曲達がどのように生まれたかの一端をイメージさせやすくしたかったのだろうけど
私は、ただただ、天才モーツァルトに嫉妬しながらも冷静な目で見続けるその当時の宮廷作曲家として大きな地位を築いていたサリエリの心情に
「わかる〜!わかるよ!天才に出会うとなんと自分がちっぽけなものか!と惨めに感じるよね〜」
と超サリエリに共感しながら観た。

この話はこのブログのどっかに以前書いたと思う。

自意識過剰な思春期に観ちゃったもんだから
音楽よりも心理描写が怖くて怖くてねえ(笑)

「黄色い大地」はどんな意図があって何の時間に見せられたのか覚えていない。
しかし、これは観た当時は平坦な映画だなーなんていう不遜な感想しかなく。
大学生くらいかな。もう一回観たんですよ。
んで、うわーってびっくりした。
人生の無常さに打ちのめされたっていうんでしょうか。

中国映画なんだけど、舞台が1940年代の日中戦争の時代。
極貧の農村で13,4の女の子がお金で買われて結婚していく話なんです。
軍の若者が家に泊まりに来て、村の外の話を聞くと少女が知らない世界がどーんと広がっているわけです。
都会ではお金で買われて結婚なんかしてないって知る。軍に入る女性もいると聞いて
自分も軍に入りたい、連れて行ってくれと若者に頼むけど、若者は都会に戻り、少女は結婚。
結婚した日に自力で黄河を渡って軍へ入ろうと逃げ出そうとする。

こういう流れを淡々と描くだけに
背景が分かると心理的にキツイ。

私の祖母はちょうどこの舞台背景の時代に一家で満州にいたのだけど
祖母の話に聞く満州とこの村は別物じゃないかというくらい違った。

この映画の記憶があったからこそ、香港映画や台湾、韓国、ベトナム・・・とアジア諸国の映画を観ようという気持ちになり
アジアという地域に関心が向くきっかけとなった。

他の国についても同様。
映画がきっかけで色々な国についてかいま見える街並みや生活、思想に心惹かれる。


ケルン動物園

  • 2013.07.16 Tuesday
  • 00:32
 書いたまま放置していたドイツ、ベルギー旅行記の最終話をいまさらですがあげておきます。
いやー、もう1年前なんて!!w

なんで今頃あげるかというと、次の旅が迫っているから!(笑)

家人の
「うちは毎年海外旅行に行くような経済状況の家じゃねー!!」
というお怒りの声がはるかかなたで聞こえますが、聞こえないふり。

前置きはこのくらいにして、最後はドイツ、ケルンの動物園について。



動物園の前に大聖堂の中を見おさめとばかりに入り、讃美歌をきいて感動しつつケルン中央駅から地下鉄へ。
中央駅から3つで動物園だと聞いたのですが実際には4つ目だった。
3つ目の駅がどう考えても違うと思っていたら目の前に座っていた
鈴太郎と同じ年頃の男の子とその母親らしき女性が話しかけてきた。
のだが、英語でもドイツ語でもないようで、何語なのかもよくわからない。
なんとかなまりの英語だったのかもしれないが、さっぱり聞き取れないので
動物園の駅はどこかって聞いているのか?と思ったんだけど
私たちも3つ目の駅じゃないことに動揺してたので
よくわからないと英語でいうだけで精いっぱいだった。

この時この親子は立ちあがったんだけど、どうみても駅が違うのはわかったようで降りず、そうこうするうちに次駅が
ケルン動物園とドイツ語と英語で表記があったので、降りると、その親子もやっぱり降りていた。

ケルン動物園は昆虫、爬虫類館と水族館、動物園がすべてありました。
鈴太郎は昆虫!昆虫!とわめいているところ、水族館をまわり
やはりこの日も雨が降ったりやんだりだったので、雨がやんでいるうちにランチを食べて動物園側をみようと動物園へ。
水族館は、ケルンの場合はライン川に住む魚というコーナーがあって
やっぱりその土地に住む魚や生態を知るって言うのは重要だなーと思った。
よく世界の海とか地域をわけてありますが、やっぱり細かいそれぞれの地域色みたいなものがでると
へえ〜という発見もありますし。

そして、動物園は、檻や柵を感じさせない作り。
あってもこのくらい寄ってくる感じ。
それぞれ動物のいるブースにはガーデニングのように草花が植えられ、まるで庭に豹だのカワウソだのフラミンゴがいるかのよう。
この景色が素晴らしかったなあ。
こんなかんじ。ガーデニングされた庭のようでした。
この中に実は鳥がうようよいるのだw

水鳥が沢山いて、園内を飛んでいる様子も悠々としていて綺麗でした。
ところどころに身体で動かす子供向けの遊具があり、子どもが載って、親が引くトロッコ車のようなものがあって子どもたちはこれに乗って園内をまわった。
ベルリン動物園も同じような形態ときくので今度行ってみたい。

虫・爬虫類館では、昆虫の種類や展示の仕方に身の毛のよだつようなものがいくつか(笑)

ハキリアリ
葉っぱを切り出し、巣の方へ向かうまで透明なケースにはいって歩いている様子や巣を出入りする様子を観察できるようになっているがとにかくすごい数のアリ。

と思ったらこれは多摩動物公園でも同じような展示があるようだ。今度みてみよう。

タンザニアオオヤスデ
ビジュアルのインパクトが強くて名前を調べてしまった。
興味ある人は画像を調べてみてください。私は怖いので載せませんw
無害どころか益虫みたいですけどね。

ヨロイモグラゴキブリ
世界最大の大きさだそうで。
これが何十匹とケースの中にみっちりいました・・・。ひー。

鈴太郎の目にはカブトムシ類や蝶類の標本やナナフシくらいしか記憶にないようですが。

爬虫類は立派な子がちょろちょろいましたが
こちらは上野動物園の方が展示内容が充実しているかも。
蛇が少なかったし。
(いや、べつに蛇が好きなわけではない)

これはカバの展示。
目の前でがーっと口をあけてて迫力あり。
その上を鳥が飛んでいく〜ってな雰囲気。

とまあ、駆け足ながら盛りだくさんで夕方、ケルン動物園を離れ、ホテルに戻って預かってもらった荷物を受け取り、タクシーで空港へ。
乗り継ぎがシャトルバスでの移動でしたが、ほぼ定刻通りに着いたのでこちらもゆっくり移動でき
ちょうどこのころに陽が暮れ、やっぱり倍の日程は欲しかったなあ、、、と名残惜しみながら帰国。

**********************
2012年4月からソフトバンクは海外に行った時用のパケ放題なるサービスが始まったのでそちらを利用。
ただし、ベルギーもドイツもwifiのつながりは悪かったのと、パスワードが必要な所が多かったので事前に調べてくるべきだったのだが忘れてしまった。
(Wifiからなら無料だったのだが)
結局3G回線に頼ったので緊急連絡用以外には、メールを確認したり、地図をちょろっと確認したり位にしておきました。
※追記。私のスマホがOSバージョンアップしていなかったためにwifiのつながりも悪かったことが判明。

それでも、義母に着いた旨を写真付きでメールしたら帰国後に
「凄い世の中になったのね。心配してたから元気そうな写真付きメールにちょっと感動しちゃったわ。」
と好評でした。皆さまもおためしあれ。




かもねぎ劇場パート3

  • 2013.07.13 Saturday
  • 22:34
過去は2006年、2004年とだいぶ以前に書かれていますが、久々に書かねばという劇場が成立したので復活。



以上の話と繋がってます。。。

今回の舞台背景:礼服を一式新調しに行った私(かもねぎ)。


今回は、私一羽で売り場へ突入。

というか、売り場に足を踏み入れる手前でロックオンされたおばさまに
「お葬式関係かしら?」
と挨拶代わりのジャブを喰らう。

そ、そうです。あ、あのこのクロエの礼服を・・・

と話そうとして、そうですと相づちをうった瞬間
「こちらへ」
とクロエの反対側へ誘導される。

そして、こちらかこちらですね、といきなり2着を並べられ、うち1着を着ると

「あ、もう一着の方ね。お客様、お若いから、こちらの可愛らしさのあるほうがうんたらかんたら」

く、クロエは着させてもらえないのかしらー?!

と思って勇気を振り絞って

「あ、あのぅ・・・」と声をかけるも

「△さ〜ん!この組み合わせでどうでしょう?」

「あら、いいんじゃない。そうね、真珠はこれね。ん?この鈍いグレーじゃなくて、もう少し艶のある、、、そうそう、それよ!」

と勝手にパールも装着される。

だ、だれこの年配のおばさまわっ?!

と思う脇から

「△さんはね、礼服のスペシャルアドバイザーなの。この方に見立ててもらえば安心!
間違いないからっ!」

「は、はあ・・・。あの、バックも買っていきたいんですけど・・・」

「はいはい、そうね、こちらかこちらがスタンダードですし、お若いあなたにはお似合いになるんじゃないかしら。どうでしょう?△さん。」

「そうね、それも悪くないけれど、このデザインの礼服だとあの上の棚の、そうそう、それ。これがベストだと思うわ」

「ああ!そうですね!生地の質感とピッタリですわね!」

「でしょう。パールも胸元のボタンと色合いを揃えてあるから、品が出るし。」

「はあ」

「お母様に交換してちょうだいと言われると思うけど、貸しても交換はダメよ。ホホホホホ」

「そうねぇ、これはお母様世代になっても身につけられるし、欲しがるわよぉぉ」

「あははははは」(ヤケクソ)

「でね、こちらにレインコートもあるんだけど、本日だけ10%オフなの」

「はあ」

「昭和天皇の大喪の礼の時に外国からの要人がこういうコートをこぞって着ていて、あれはなに?ってなったものなのよ。
それをこちら限定でデザインし売り出しているものなの。このコートだけを目当てに来る方も結構いらっしゃるのよー。」

「そうなんですかぁ」

「なんといってもね、糸から防水加工がうんたらかんたら」

(いや、でもこの暑さでコートはいらない。)

「お子さんがいらっしゃる?なら保護者会や参観、面談にピッタリよ!こういうお品を持っているのといないのとではうんたらかんたら」

(えーっと、どれも普段着で行ってるんですよね・・・)

そのあとそのコートの防水威力を実演されましたが、とにかくコートはいらないので必要なら定価でも買うしまた別途きますと一応こちらは断った。

まあ、必要なものの買い換えはきっちり済んだのだが、予算はオーバー&試着したかった服には全く触れずに帰宅(爆)

いやー、まったく口を挟めない接客に久々に遭遇しましたw

しかし、少し特殊なシチュエーションで着る服は、自分の好みよりも普段その仕事に携わっている人の意見の方が正しいという経験がございましてもうかもねぎでいいやと最初の方と話した瞬間観念して購入してきました。

注:特殊なシチュエーション・・・私の場合、結婚式のウェディングドレスがこの最たるものだった。
私が何か言う前に「お客様にはこのデザインですね。小物はこれとこれです」とほぼ決め打ちw
一応抵抗してコレが着たい、ああいうのをつけてみたいと言って、そちらもやってみましたが、最初に決め打ちしてきたものにどうやっても劣るという状態に。

これ以来、自分が普段から着ない服については、人のいいなりになるように観念しました。


が、今回観念して良かったのか、若干疑問が残ります。

まあ、20年は着ます。はい。


ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナと贖罪

  • 2013.07.02 Tuesday
  • 10:36
母親との関係、女の子同士の関係を描いた小説を続けて読んだ。
ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ 辻村深月
贖罪 湊かなえ

まず、ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。

山梨に住む幼馴染みのチエミが失踪。そして、母親が刺され亡くなっていた。
仲の良かった母娘に何が?

東京で結婚しフリーライターとして暮らすみずほは、故郷へチエミを探す手がかりを得るため、以前の友人達と連絡を取るが・・・

30歳を越え、揺れ動くそれぞれの立場の女性達、それも地元に残ったものと上京したもの、結婚して子供がいるもの、いないもの、独身、かつて他愛もない話をしていた友人達の状況は様々。母娘関係でもみなそれなりに葛藤を抱えている。

周囲の人が語るチエミ。話を聞くたびにみずほはじわじわと自身の姿もまた鏡のように見ることになる。
そのくだりが切迫感があってなんともいえない。

私が高校生の時にも、将来の結婚等に響くからと優秀なのに県外の学校はNGという子が一定数いた。

けれども、私には親のために20そこそこで親の近くで結婚し、やれ地域の祭りだ、行事だといっては女性達がかり出される社会に馴染むことは出来ないと今でも思う。
結果としてそうなったとしても、そこに親の意図が存在し私が選択した人生ではないことを後悔する時がくる。
嫌なことがあったときにきっと親のせいにするだろう。

ある枠組みがある方が安心して生きていけるタイプや、ずっと知っている世界だからこそ馴染んで生きていく事の方がスムーズな人も一定数いることはわかっている。
だから、この「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」で描かれるような格差や相反する気持ちは半分わかるが、半分わからない。

まず、友達同士での立場の違い。
現状男性よりも多くの分岐のある女性の人生。
これをはかり出すと女同士「友達」が消滅する可能性がある。だから私は立場を比べることに意味はないと思っている。

自分の身近なことを話してばかりいたら、比べざるを得ない人たちも多くでてくるでしょう。
地元で、実家にいたり安定した仕事だったりである程度余裕があると
その輪から抜け出した人間をズルイとか裏切り者と言いたくなる人も出てくるでしょう。
(都会はその点方々から人がくる地域が多いので、親の代からという関わりが薄い点で抜けられない閉塞感みたいなものは地方ほどない。下町とかだとまた違うかもしれないが。)

けれども、何かの前提が崩れると大きく変わるのが環境なので、それで人と自分を比べて焦ったり落ち込んだりするなんて、本当に不毛。

そして、母娘の関係に対する娘の葛藤も理解度は半分である。
母は過干渉でも放任でもなかったし、私自身の進路について
常に淡々としていて、ちょっと抜けていた母を頼りないなあと感じたこともあったけれど干渉されなかったというのは、母の素晴らしい美点であるということに気付いたのは大人になってから。

そんな母が、結婚が決まったとき
「行き来しやすい距離で良かった」
とだけ言った。
自身は遠方であまり実家に帰省できなかった事についてもう少し深く考えて地元に帰りやすい土地に嫁げば良かったと思ったといっていた。

そんな娘の私は、実は全く関東圏に住む気がなく、近くても関西圏に住む
出来れば外国だ!って思っていたのだから、人生どうなるかわかりません。

そして、自分自身がどういう母親であるかはまだよくわからないけれど。
自分も、子供も、狭いフィルターを通した価値観だけにならぬよう、それを押しつけないよう自由にのびのびと生きてゆきたいし、子供にはそう育って欲しい。

そう思わせる小説でした。

一方の贖罪。

辻村さんの方が、母親の態度に振り回されながらも断ち切れない親子の関係を娘の目線から書いているせいか、救いがあり目線が優しい。
なんだかんだいっても母親だから、娘だから、友達だからとどこかに良心というか温かい雰囲気が漂う気がするのに対し
湊さんが書く贖罪は、母親、娘、友達それぞれの関係に救いがない。
それぞれが非常に冷徹な目線を持ち、酷評し、切り捨てる。
時にその本人に向かって憎悪をむき出しにする。

なのに、どうしても一点に捕らわれて、みな自分を追い詰めるだけ追い詰めてしまうことの悲劇。

5章からなる話で、5人の視点から一つのことが語られる手法は告白と同じなのだが告白以上にかいま見える悪意がえげつない。
なのに今回も読ませる力が凄い。
ちょっとだけと読み始めたら止まらなくなり一気読みしてしまった。

しかし、女達のこの強さはなんだろうか。

桐生夏生が描く女性に似ている気がする。
それも、生々しさを取り払って無機質にしたような感じ。

ぎりぎりのところで虚勢をはったり守ったりして自分を保っているだけに、ひりひりするし、やっぱり読後感が悪い。けどやめられない。湊さんの小説は麻薬のようだ。
身体(心)に悪いのに読むのをやめられないw

しかししかし、母娘の関係の複雑さに戦慄する。

わたしはちょっとタイプが違うのかな。母との葛藤は心理的な面で殆どない。

父との関係でぶんどられたからかなー?

意外と母の干渉しないスタンスが私には良かったのかもしれない。

同じように育てられた弟はちょっと大変だったのよね。この話はまた別のところで。

りんごかもしれない

  • 2013.07.02 Tuesday
  • 10:26
書店でパラパラめくったらなかなか面白そうだったので購入し、早速家で読んでみた。
鈴太郎、大受け。家人も「へー、面白いね」
この絵本は机の上にりんごが一つおいてあるんだけど、それがりんごかもしれないしリンゴじゃない何か別のものかも、と妄想ともいうべき想像の世界を描いています。

皮をむいてもまた皮かも、ナシになりたかったのかもしれない、かつらをかぶりたいのかも、実は家かも、自分と入れ替わっちゃうかも。

鈴太郎は、りんごに沢山の兄弟がいるかもというページがいたくお気に入り。りんごの兄弟。
まず、ラ行でらんご、りんご、るんご、れんご、ろんごとそれらしくねじれたり広がったりしたりんごのようなものたちが描かれている。

というわけで子供たちへの読み聞かせで1年生の前で読んできました。

なかなか反応が良かったので、オススメします。

2013年10月31日まで


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