英国一家、日本を食べる(Sushi and Beyond)
- 2013.08.23 Friday
- 13:00
原題:Sushi and Beyond: What the Japanese Know About Cooking
海外へ行ったり、海外に居る人の話を聞く度に思うのが日本の食事や味覚のことだ。
どの国の人も味覚に鋭い人と鈍い人がいるけれども、美味しいと思うものは一緒ではないかと昔は思っていたのだが、味覚は作られるモノで、磨かれるものだと悟ったのは大学生の時のバイト先だった。
外国人のエアラインクルーが主な客である定食屋でバイトしていたとき、私や他のバイトの子にはそのままで充分濃厚な味のものに、アメリカだろうがフランスだろうが、ブラジルだろうが、かなりの確率で醤油を足して食べていたこと、特に白米はサラダだからといってドレッシングのように醤油をかけている姿は衝撃的だった。
好む食材にはある程度お国柄があるのに、醤油ドレッシング化は国籍関係なくかなりの国の人がやっていた。ただ、アジア圏の人はそういうことはしない人が多かった。(豆板醤を鬼のように掛ける人たちはいたけど)
単にお米を食べ慣れているからと思っていたのだが、これは口の中で味を混ぜ合わせる「口中調味」というのだそうで、日本やアジアの一部の国々の人しかできないんだとか。
そういわれてコドモをみていると、確かに彼らはおかずとご飯を一緒に食べない。
白いご飯をそのままにおかずを食べ、あとで白いご飯を何で食べるのか?と聞いてきたりする。
親は、おかずに味がついててしょっぱいのだからおかずを食べながらご飯を食べるんだよって教えたりする。
つまり、これ教えて訓練しないとできないってことなんですよね。だから日本人でもこれを練習しなかった人は出来ないはずだと聞いて「そうなんだー」とびっくりした。
ご飯に醤油をかける理由もこれだったのかと合点がいった。
そして、この「英国一家、日本を食べる」である。
3ヶ月間も日本にいて、筆者が著名なフードジャーナリストだそうで日本にも色々なコネがある人であり、相応の知識もある人なので料理はなかなかにディープで普通の日本人でも食べられないようなものを沢山食べたり、料理人にインタビューしている。
この本の面白いところは、家族も一緒に色々と日本の食事をするところ。
子供の反応がちょくちょく出てくるのだが、それが興味深い。
そして、インタビューの言葉がそこにオーバーラッップしてくる。
来日当時、4、6歳の二人の子供は、イギリスでなかなか野菜を食べずに親をてこずらせている最中。日本での食事をどれだけ受け入れてくれるかと心配しているところへ、いきなり気に入ったのが、軟骨の焼き鳥。
鈴太郎はまだ食べない。
あー、もう味覚の傾向が違うんだなーって面白い。
と、同時に。
テリヤキのパワーおそるべし(笑)
こどもたちは焼き鳥の甘辛いタレに夢中。
バイト先も看板メニューはテリヤキチキンソテーでしたが、どの国の人にもまんべんなく食べられていました。
(アフリカや中東の人があまりいなかったので、その辺は不明だけど)
砂糖、醤油にガーリックが主成分というアレンジ照り焼き料理でしたが、強火のガスでざっと炒め煮するチキンは私もやみつきでした。
一方で先程の口中調味に関わるのではないかと思われるお好み焼きのくだりもびっくりした。
筆者はお好み焼きも大好きで大阪でプレジデント千房で至福の時といった感じで味わっているのに、こどもたちは
「いろんな味が口の中でしてイヤだ」
と一口で終了してしまうのだ。
いろんな味が一度にするのがダメなんだー!!と私はものすごくビックリした。
その複雑さがいいんじゃないかと全く逆のことを思っているから。
たこ焼きもたこなんて食べられない!と食べる前に勘付いて拒否したとか。
オクトパスはアクマの生き物って言われているらしいからね〜。
ちなみに、鈴太郎もたこやきは好きですが、たこが食べられない。
たこやきのたこ抜きでという無茶をいいます(笑)
なにげにB級グルメといわれるものの中にも
舌が発達しないといろんな味がして気持ち悪いとか旨味を感じられないんですね。
食材が豊かな国に生まれ住んでいるというだけでも、味覚を鍛えるには凄く有利なんだなーと思います。
(かえすがえすもせめてあんな放射能物質をばらまくような事故がなければと悔やまれてならない。私は山菜もきのこももっと食べたいのだ!)
それを裏付けるように、筆者がインタビューした辻料理専門学校の辻氏との会話が興味深いのです。
学校の経営者である辻氏は中学から大学までイギリスに留学し流ちょうなイギリス英語を操る人らしい。
中高は寄宿学校でそこの食事が貧しくて辛かったと言うようなことをいうと
筆者が、よく料理の世界にきましたねというようなことを問う。
辻氏は、正直舌の感覚が戻るまでに帰ってきてから10年かかりましたと返答する。
料理人としての道は諦めざるを得なかったというような事も言っています。
世界に知られる料理人の息子として10歳弱まで日本で育ってもそんなに退化しちゃうのかーとこれまたびっくり。
何かで、味蕾細胞は歯の生え替わる時期5,6歳〜12歳くらいにかけてピークで旨味を含む五味はこの時期に感覚が養われると読んだのですが、その後の10年で戻っちゃうなんてかくも繊細な感覚なんですねぇ。
それでも、このノンフィクションもそうですが、世界中で世界中の料理が食べられる地域が増えることで、それぞれの味覚が豊かになっているのもまた事実なようで
5つめの味覚である「旨味」が世界的にも認められたことで味がわかる人が増え、今の日本料理の世界的な流行にも繋がっているのだそうです。
旨味は長くアジア圏にしかない味覚で欧米では認知されていなかったのだとか。
5つの味覚ではなく4つだったそう。
東洋は5ってなにげに重要ですよね。五行思想があるし。
そうじゃなくても五感があるから第六感という言葉もあるわけで。
話が逸れましたが
うちの鈴太郎もいってみれば醤油と出汁がないと生きていけないアミノ酸中毒ってヤツです。
これがね、顆粒出汁だとやっぱり威力半減みたいで、ダメなんですよねぇ。
なぜ人工物がダメかっていうと、やっぱり天然のバランスっていうのがヒトに必要なバランスと絡み合っているんじゃないかと思うんです。
それがわかる感受性をヒトはちゃんともって産まれてきているのではないかと。
(大人になるほど耐性やらいろんな経験やらで鈍くというか許容範囲も拡がるのかなーなんて)
また、その土地で生きるために必要な味覚を持って生まれてきているともいえる。
そして、住む土地がかわると必要な栄養の採り方も変わっていくものなのかなあ、と。
鈴太郎をイギリスの寄宿学校なんてやったら餓死するんじゃないかと思っていたのですが(笑)
案外そうなったら、もの凄く雑な味覚になるだけかもしれない。
あれほど出汁よこせといったアンタはどこへ?!みたいな。
だから、世界どこへいっても同じものが流通し、同じモノが食べられるっていうのは私は反対です。
空輸したり、船で運ぶだけで味変わっちゃったりするもの沢山ありますし。その土地の空気や温度だからこそ、新鮮だからこそ美味しいってもののほうが多いはず。
食べ物に限らずそこでしか通用しないものすべてを世界共通化、フラットにする必要はないと思う。
それによって不便だろうがガラパゴスだろうが、多様性こそが何かの時に人を救う道になると思うし。
実際に行かなきゃわからない、味わえないものがあるからこそ人は旅に出て、冒険するのです。
原書からいくつかエピソードが削られているという話ですが、日本語版でも充分面白いです。
どうも削られたエピもかなり面白いようなので、頑張って原書も読んでみようかな。
翻訳は時々訳のタイプで読めなくなることがあるのですが、これはとても巧い訳を当てられているのではないかと思います。
オススメです。