リリーのすべて 〜 LGBT(エル・ジー・ビー・ティー)
- 2016.03.31 Thursday
- 13:38
とても観たかった作品が想像以上、期待以上の作品だった事に感動している。
自分とは何者なのか?
どう生きていきたいのか?
それを真摯に追求した2人の人間の輝きと苦悩の物語。
デンマークの田舎で生まれ育った風景画家
アイナー(エディレッドメイン/Eddie Redmayne)が描く風景画とこのテーマ曲が彼らの心の変遷を大きく包み込んでいる。
同じく肖像画家を志す妻のゲルダ(アリシア・ヴィカンダー/Alicia Vikander)
画学生時代に知り合って結婚した若い芸術家夫婦は6年経っても子どもができない。
それでも2人仲が良く幸せそうな日常。
ところが、ゲルダの絵のモデルの代わりをつとめることになったアイナーは、自身がストッキングと靴を履いた足を見て微妙な心境の変化が生まれる。
以前にも感じた違和感。
何度かモデルとして女装し仕草を研究し、妻の描く「自分の姿」をみて広がる心の波紋。
女装しリリーとして妻とパーティという公の場へと出向く。
そこで、出逢った男性ヘンリク(ベンウィショー/Ben Whishaw)とのキスでリリーという女性の人格が大きく花開いていく。
その様子を目撃しショックを受け、もうリリーにならないでと懇願するゲルダ。
お互いに結婚した当時を維持しようとあがき、パリへと生活の拠点もうつす。
今日こそ1日アイナーでいようと思いながら本来の自分はリリーであるという気持ちを日々大きくしていくアイナー。
知っている夫が遠く離れて消えてしまうことを受け入れられない、けれども受け入れたいと苦悩するゲルダ。
アイナーはリリーこそが自分であると確信を深め、情熱的に本来の自分自身である事を熱望していく。
映画の中で、ゲルダは女性になろうと自分の愛する人にかわりはないつまり、
リリーであっても愛情の対象だというように感じたんですが
アイナーはリリーになる過程で、ゲルダは家族のような友愛はあっても夫婦という愛情の対象ではないというように変わっていったように思う。
リリーが、あなたの愛を向けられるような人間じゃないとって呟くシーンに
ゲルダが追い求めるのはアイナーでありリリーでもあったけど
リリーは、それを丸ごとは受け入れられない。(ように私にはみえた)
ある意味破綻してしまった2人の愛情を、ちょっとした会話からむき出しにされて切なく、痛い。
実際の話とはまた違ったフィクションのほうを原作にしているようなので
現実とはまた違うのかもしれないけど、この映画の着地と描き方は好き。
劇中の登場人物がまたどの人も繊細かつ、それぞれの嗜好を抱えていて興味深い。
ゲルダは、夫が女性になることへの苦悩よりも
アイナーが女性となり自分自身がリリーの愛情の対象で無くなることに苦悩しているように感じたので
彼女は無自覚なだけでバイセクシャルだったのかなぁ、とか。
リリーは異性愛者のトランスジェンダー。
(ゆえに、ゲルダとは女性化していく中で一緒に生活は出来ても性愛の対象からは離れていく。そして、劇中でゲイの男性にははっきり本人にも拒み、妻にも友人であると言っている)
ヘンリクは、リリーの中に「アイナー」もいることを感じ取った。けれども、女性となったリリーは友人とするゲイ。
アイナーの幼馴染みであるハンスは、アイナーの中に「リリー」を最初に見いだし、かつゲルダの気持ちにも寄り添おうとする異性愛者の男性。
ヒトの性別や愛する対象についての曖昧さや不透明さ。
思春期あたりに、同性同士でも「好き」という感情が曖昧になることはないですかね?
友達としての好きと相手を性の対象としての好きとが混沌としているというか。
女の子同士は良く手を繋いでたりとかする時期があると思うんですけど
あれって、今考えると疑似恋愛みたいなもんかなーって。
映画化の話が出てから10年くらいあれこれあったようなので
今のキャストにも一部批判がでたりしたそうだけど、私はあの作品はあれで良かったと思う。
LGBTがというより、ヒトのアイデンティティやジェンダーについて考えさせる奥深い作品として素晴らしい。