「雑誌の中の東京」をみて考えた
- 2017.02.16 Thursday
- 13:43
AERAや東洋経済あたりで書いてありそうな
東京 の話を聞きました。
都心部に住んでる友人と久々に会いました。
子供の小学校の保護者会で父兄同士話していたら、そのクラスの半分近くの保護者が医者か歯医者だったっていう…。
公立の小学校なのに(笑)
で、みんな当然の流れのような感じで中学受験塾に通ってるそうなのだが、
将来は医学部進学→医者になってもらわないとっていう使命を帯びた子供達が結構いるんだそうな。
でも、現時点で全員が医学部への進学率も総じて高い最難関に行ける学力があるわけではない。
が、他の学校と比べると中学入学時点の偏差値的にはそれほどでもないけど、ものすごく熱心に生徒に勉強させるタイプの学校があり、医学部進学率がよいところがいくつかあるのだそうな。
(といっても伝統校で充分入るのは大変なわけだが)
私は、たまたまこのうちの1つの学校関係者の話を聞いたばかりで、この需要と供給の関係を垣間見てしびれちゃいました(笑)
上記のような学校の先生方も同じ様に
塾に行く時間がないくらいやることを学校から出します
テストが悪ければ補講も行います
それらをこなせるであろう基礎学力を身につけたお子さんであれば学校がなんとかします!とえらく力強かった。
しかも勉強だけでなく運動や行事も充実させてますと紹介された制度やイベントもなんだか気合が入っててすごかった。
生徒の文集などもその時配られたのだが、そこには普通に
これほど勉強した6年間はなかった
とか
地獄のような時もあったが乗り越えた自分を誇りに思う
とかっていうフレーズがちょいちょいでてきてる…(ひえええ)
現代日本では世間的には何にでもなれるよ!っていう雰囲気で
なんでもってなんだよ?ってなりやすいから大変だけど 子供の頃から人生が決まってるっていうのも大変だ。
戦前の日本だと将来のレースが引かれていた人はもっと多かったですよね。
軍人の家は軍人みたいな。
そういうプレッシャーが書かれてる小説が明治大正昭和初期はゴロゴロ転がってるし。
(小説家になるような人々は賢くとも決められたレールに向くタイプじゃなかったから自ら書きながら懊悩していたわけで。)
現代でも脈々と受け継がれているのを垣間見てしまった。
その逆もあって、一時期総中流時代といわれて消えかけたようにみえた貧困層というのも消えるどころか増えてきて
昔は普通にあった、経済的事情で進学できないっていう人が結構いるという時代に舞い戻りそうな気配も濃厚になってきていますよね。
環境に合う子がそれぞれ生まれてきていますようにと祈らずにはいられない…。
いやだって、こちらにとっても頭はいいが不器用な外科医とか嫌じゃないですか!
でも、医者ってびっくりするほどのヤブ医者やコミュニケーションの取り方がおかしい医師が必ず各地にいるじゃないですか!
って話が逸れてきたのでこの辺でやめておきますが、どんな職業も生まれた環境とか頭脳だけじゃなくてですね
その人の持っている気質と長所を活かし、短所はなるべく使わないものに就いて欲しい。
逆に優れた頭脳があるのに進学できなくて絶対向いているであろう仕事に就けないとかも社会的損失大です。
人間向いてない仕事してるとだいたいどっかで病みますから。
心身の健康を損ねるとどんなに優秀だろうとその能力発揮できないですからね。
日本は人材益々減って行くんだから、多様な人材を多様な世界へと配置すべく、子供の適性を見極めてサポート…できるかなぁ。
仕事に就くルートも親の見極めも今までの形にとらわれることなく、子の自立を後押ししてきたいもんです。
言うは易く行うは難し。