共作の流れと曲の世界観について
- 2019.12.27 Friday
- 12:57
JUGEMテーマ:音楽
いまや海外のシンガーソングライターは1つの曲に複数の作詞家、作曲家、編曲の人と絡んで制作している。
1曲の中でシンガー本人がどこまで詩や曲に関わっているのかよくわからない。
分業制で完成度をあげ、世の中に出すサイクルも早めているんだろうけど
シンガーソングライターという全てを全部自分でやる人からはかけ離れた流れが興味深い。
でも、共作でシンガーのパーソナルな部分が弱まっているかというと
それどころか、歌われる内容が非常にパーソナルで彼らの日ごろの言動や行動を類推しやすい内容になっていたりする。
SNSで一般人に動画やらをなにやらを流され、自身の投稿をチェックされパパラッチにがんがん写真を撮られ
何かあればファンからSNSにツッコミが入る
この状況を受け入れ、時に利用しファンをより身近な目撃者として自身が出す曲の世界観を伝える一つになっている。
今年で例えば気になったのはセレーナゴメス
Lose You To Love Me
youtubeで公開一か月で1.7億回の再生。
自分を愛するためにあなたから離れる必要があった
2か月でもう新しい人と歩んでいるなんて
というようなフレーズがでてくる。
彼女はジャスティンビーバーと長く付き合い、別れて2か月でジャスティンは今の奥さんと婚約した。
この出来事を彼らのファンや曲を聴く人はすでに知っている状態。
曲がリリースされた直後にこんなに生々しい背景がわかっているって奇妙なこと。
そして、ファンにはこの距離感が思った以上に近く感じられるようで
ジャスティンビーバーや奥さんのヘイリーを非難したり
セレーナとヘイリーは不仲だと書き立てたり
それをセレーナが自身の出来事から曲に昇華させただけで誰かを傷つける意図はないから落ち着いてと呼びかけたり
ヘイリーはセレーナに敵意をもっていないと釈明したりしている。
ネット上にあがる虚々実々に本人も周囲も巻き込まれている。
1か月で何億回も曲を聴かせるパワーや宣伝力が、本人たちのリアルタイムの私生活も侵食している。
これらSNSやゴシップを観なければまったくわからないから
ちょっと離れて見る人にはとても滑稽な世界。
曲だけ聴いているととても切々と歌われるバラードで素敵なのに、その背景がこんなに本人たちとリンクしていることが
曲の世界観を狭めている気がしてどうも慣れない。
いま、世界で若い子に人気のあるポップスターは多かれ少なかれ
プライベートがファンにも共有され曲の解釈に大きく使われている時代で
なんだかなぁという気持ちがどうしても湧き上がってくるし、それでずっと第一線で活躍を続けられるものなのかという疑問も湧く。
現に、10代で有名になった彼らは時に奇妙な振る舞いや行動でお騒がせセレブになってしまったり事件を起こしたりしている人が多い。
そして、その奇行の陰にいるのはクスリだったり。
ネットのおかげで早くから才能が注目される時代になったけれど、公私の境はより曖昧になり
かと思うと巨大な世界ツアーを組んで過酷な日程で世界中でライブを行う。
なかなか正気でいるのも大変そう。
もう一つはSNSにのまれる傾向にあること。
10代前半からSNSを使いこなし、注目を浴びてきた彼らはその影響力を都合よく解釈しすぎていると感じることがある。
何千万人ものフォロワーに向けて発信しているが、みているのはアナタ一人だけという錯覚にファンも本人も陥る瞬間があるのか
不用意な発言等をそのまま放置し後々発掘されて謝罪する人の何と多いことか。
自身の影響力を感じるなら、自らの無教養ゆえにどんなにいいこと言っても信頼度ゼロってこともあるんだよってことを知ってからその影響力についてを考えるべきなんじゃないの、とおばさんは思うわけです。
周りの大人は発掘するだけじゃなくて最初に裏側のそういった怖さも言ってるんだろうか。
なんてことをひさしぶりにアメリカのショービズ界隈を眺めて思った年の瀬。